できごと

ラ・ベンタの放棄

Abandonment of La Venta
BC400年頃
重要度 3
サバンナの狩猟採集民キャッサバ農民北米東部の狩猟採集民アマゾンの狩猟採集民平原のバイソン狩猟民砂漠の狩猟採集民トウモロコシ農民高原の漁労・狩猟採集民北米太平洋岸の採集・狩猟・漁労民カリブの狩猟採集民Adena CultureチョレーラGlades CultureBC400年頃ラ・ベンタ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているBC400年頃の版図を描いています(13勢力)。

概要

メソアメリカで最初に大きな都市を作った文化が、その中心を捨てた。巨石人頭像が意図的に壊された跡がある。暦と球技と神々は、後の文化に受け継がれた。

場所

ラ・ベンタ
18.10°N -94.04°E · メキシコ・タバスコ州(オルメカ)

本文

メキシコ湾の南岸、いまのベラクルス州とタバスコ州にまたがる低地は、川が網の目のように流れ、湿地と熱帯の森が広がる土地になる。紀元前1200年ごろから、ここでメソアメリカで最初の大きな儀礼の中心が作られた。それを築いた人々の文化を、オルメカ文明と呼ぶ。オルメカは後のアステカの言葉で「ゴムの国の人」を意味し、彼ら自身が何と名乗っていたかは分かっていない。

最初の中心はサン・ロレンソだった。川を見下ろす台地を盛り土で整え、その上に建物を並べた。紀元前900年ごろ、サン・ロレンソは衰え、代わって栄えたのが、東のトナラ川の湿地に浮かぶ島に築かれたラ・ベンタになる。

ラ・ベンタのピラミッド、北面
ラ・ベンタのピラミッド、北面Wikimedia Commons Alfonsobouchot · Public domain

ラ・ベンタの中心には、粘土を積み上げた高さ30メートルあまりの大ピラミッドがそびえる。その北に、南北の軸に沿って広場と土の基壇が並ぶ。地中からは、驚くほど大きな埋納物が見つかった。何層にも重ねた蛇紋石の切石を穴に埋め、その上に、蛇紋石のブロックでジャガーの顔のような図柄を組んだ床を作り、それをまた土で埋めている。数百トンから千トンを超える石が、人の目に触れない地下に納められていた。見せるためではなく、神に捧げるための作業だったと考えられている。

巨石人頭像も、ラ・ベンタの名を知らしめた。重さ数トンから20トンを超える玄武岩の塊に、厚い唇と平たい鼻を持つ、兜のようなものをかぶった顔を刻んでいる。一つ一つ顔立ちが違い、支配者の肖像と見られている。オルメカの中心地全体で17体が知られ、ラ・ベンタからは4体が出ている。

ラ・ベンタ(タバスコ)の大ピラミッド
ラ・ベンタ(タバスコ)の大ピラミッドWikimedia Commons Alfonsobouchot · Public domain

石は、北西に100キロ近く離れたトゥストラ山地から運ばれた。車輪も荷役の動物も無い。川を筏で下ったと考えられているが、どうやって運んだのかはっきりしたことは分かっていない。翡翠や蛇紋石はさらに遠く、いまのグアテマラのあたりから届いていた。

紀元前400年ごろ、ラ・ベンタは捨てられた。

ラ・ベンタの複合体A
ラ・ベンタの複合体AWikimedia Commons Alfonsobouchot · Public domain

理由は分かっていない。川の流れが変わって、交通や畑の条件が悪くなった、という説がある。トゥストラ山地の火山の噴火が周辺に灰を降らせた、という説もある。支配者の権威が揺らいで内紛が起きたとも、外から勢力が来たとも言われる。どれか一つに決められるほどの証拠はない。オルメカの中心地の人口そのものが、この頃に大きく減ったと見られている。

オルメカの石の記念物には、意図的に壊された跡のあるものが多い。巨石人頭像や玉座のような石の台の一部が、顔を打ち欠かれ、穴を穿たれ、溝を刻まれ、ときには地中に埋められていた。新しい支配者が前の支配者の像を壊したのか、支配者が死んだときに像を儀礼として「殺した」のか。玉座を削り直して人頭像に作り替えたのではないか、という説もある。

オルメカが消えても、その要素は残った。ゴムの球を使った球技は、オルメカの地で紀元前1600年ごろのゴムの球が見つかっており、のちのメソアメリカ全体に広がった。翡翠を尊び、ジャガーを神聖な動物とし、エイのとげなどで自分の血を流して神に捧げる儀礼。暦と文字の始まりも、オルメカの後を継いだこの地域の人々と結びついている。紀元前1世紀の長い暦の日付は、オルメカの地とその近くの石碑から見つかっている(マヤの長期暦)。

マヤの長期暦に関わる図版:East side of stela C, Quirigua
マヤの長期暦Wikimedia Commons Maudslay · Public domain

オルメカを、のちの文明すべての母とする見方がある。一方で、同じ頃にモンテ・アルバンのサポテカのオアハカや、メキシコ高原など各地で並行して文化が育ち、互いに影響し合ったのだと見る研究者もいる。いずれにしても、マヤ古典期のマヤも、テオティワカンの隆盛のテオティワカンも、アステカも、オルメカの時代に生まれた考え方を受け継いでいる。

ラ・ベンタの遺跡は、20世紀の半ば、石油の開発で壊されかけた。地元の詩人カルロス・ペリセルの働きかけで、主な石の記念物は州都ビジャエルモサの公園に移され、いまも森の中に並べて展示されている。

同じ時代のできごと

『老子』の成立成立年代に諸説ありシケリア遠征BC415年アルギヌサイの海戦BC406年パーニニの文法BC400年頃アイゴスポタモイの海戦BC405年三十人政権BC404年三家分晋(戦国時代の始まり)BC403年『論語』の成立BC400年頃
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
BC400年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →