パーニニの文法
概要
ガンダーラの人が、サンスクリット語を3959の規則で記述した。『アシュターディヤーイー(八章)』。音から語の形成、文まで。規則は代数のように短く(メタ言語、省略、順序の優先)、口で暗誦された。2400年、誰もこれより正確な文法を書けなかった。19世紀のヨーロッパが読んで、比較言語学と、20世紀の生成文法とプログラミング言語の記法(バッカス・ナウア記法)が影響を受けた。
場所
33.75°N 72.79°E · パキスタン・パンジャーブ州
関わった人(1)
パーニニBC520年頃–BC460年頃 · 記述した本文
古代インドのバラモンたちは、ヴェーダの賛歌を一字一句違えずに唱えることを何より重んじた(ヴェーダの成立)。祭式で言葉を誤れば、効き目が失われると考えたからである。そのため、音の出し方を扱う音声学、語の成り立ちを扱う文法、語源の学などが早くから発達した。「サンスクリット」という言葉自体が「整えられた(言葉)」を意味する。パーニニより前にも文法家は何人もいて、パーニニ自身が10人ほどの名を挙げているが、その著作は伝わっていない。
パーニニは、インド北西部ガンダーラ、いまのパキスタンのアトック近くにあったシャラートゥラの人と伝えられる。この地方の学問の中心タクシャシラー(タキシラ)と結びつけて語られることが多い。生きた年代ははっきりせず、紀元前6世紀から前4世紀までの説があり、前5世紀から前4世紀頃とする見方が多い。7世紀にこの地を訪れた玄奘は、パーニニの生まれた町に彼の像があったと記している。

その著作『アシュターディヤーイー』は「八つの章」の意味で、8章がそれぞれ4節に分かれ、全体で約4000の短い規則(スートラ)から成る。数え方によって3959とも、それより少し多いともされる。スートラは「糸」の意味で、一つ一つは数語しかない。全体を暗誦すると2時間ほどで、口から口へ正確に伝えられるよう、極限まで切り詰めてある。パーニニが文字を使って書いたのか、口頭だけで組み上げたのかは、研究者の間で今も議論が分かれている。インドで年代の確かな文字の記録が現れるのは紀元前3世紀のアショーカ王の碑文からだが、パーニニの規則には「文字」を意味する語が出てくる。
規則の短さを支えるのは、念入りに作られた仕組みである。まず冒頭に「シヴァ・スートラ」と呼ばれる14の短い音の列があり、サンスクリットの音を特別な順序で並べてある。各列の終わりには目印の子音が付いていて、「aC」と書けばすべての母音を、「haL」と書けばすべての子音をひとまとめに指せる。規則の中では格の使い方にも約束があり、ある格に置かれた語は「〜の代わりに」、別の格なら「〜の前で」「〜の後で」を表す。「Xは、Zの前でYになる」という形の規則を、一語の無駄もなく書けるわけだ。前の規則の語は次の規則に省略して引き継がれる。規則どうしがぶつかったときは、特殊な規則が一般の規則に勝つ、といった優先の原理が定められている。これに、約2000の動詞の語根の表や、同じ扱いを受ける語の一覧が付く。

扱う範囲は、音の変化から語の形、文の組み立てまで及ぶ。語根に接辞を付けて語を作り、語を並べて文を作る、という手順で、正しいサンスクリットの文を一つ残らず生み出せるよう設計されている。文の中心には動作があり、動作をする者、動作を受けるもの、道具、起点、受け手、場所という6つの役割が、名詞の格の語尾にどう写されるかを規則で示す。形だけでなく意味の関係まで文法に取り込んでいる点が、とりわけ高く評価される。ヴェーダの古い言葉と当時の話し言葉の違いや、地方ごとの言い方の差も書き分けている。
パーニニの文法は、言葉を記述するだけでなく、言葉を固定した。彼の後、サンスクリットは「パーニニの文法に合う言葉」として規範になり、2000年以上ほとんど形を変えずに、宗教・哲学・文学・科学の共通語として使われ続けた。その間に日常の話し言葉は、プラークリットと呼ばれる中期の言葉を経て、ヒンディー語やベンガル語などの近代の言葉へ変わっていった。
後の学者はパーニニの文法に注釈を重ねた。紀元前3世紀頃のカーティヤーヤナが補足を加え、前2世紀頃のパタンジャリが『大注解(マハーバーシュヤ)』でそれを論じた。この三人は「三人の聖者」と呼ばれ、文法学の権威とされる。17世紀にはバットージ・ディークシタが規則を主題ごとに並べ替えた教科書を作り、インドの伝統的な学塾では今もこの形で学ばれている。
ヨーロッパがパーニニを知ったのは18世紀末からである。1786年、イギリスの判事ウィリアム・ジョーンズが、サンスクリットはギリシア語やラテン語と共通の祖先を持つと述べ、比較言語学が生まれた。1839年から翌年にかけて、ドイツのベートリンクがパーニニの文法を校訂して出版した。近代言語学の祖ソシュールもサンスクリットの研究から出発している。アメリカの言語学者ブルームフィールドは1933年の著書で、パーニニの文法を人類の知性の最も偉大な記念碑の一つと呼んだ。20世紀には、有限の規則から無限の文を生み出すという考え方が、チョムスキーの生成文法の先駆けとされ、1967年には、プログラミング言語の文法を書く記法を「パーニニ・バッカス記法」と呼ぼうという提案も出された。
パーニニその人については、ほとんど何も分かっていない。動物の寓話集『パンチャタントラ』の中には、文法家パーニニが獅子に殺されたという一節があるが、これも史実かどうかは確かめようがない。