概要
1915年、ニューヨークの下町に、38階建てのエクイタブル・ビルが完成した。敷地いっぱいにまっすぐ立ち上がる巨大な建物は、周りの通りと建物に一日じゅう影を落とし、周囲の不動産の値打ちを下げた。1916年7月25日、ニューヨーク市は、アメリカで初めての都市全体にわたるゾーニング条例を定めた。土地を住宅、商業、工業などの用途に分け、建物は高くなるほど通りから後ろへ下げなければならないとした。この決まりから、上に行くほど段々に細くなる、ウェディングケーキのような摩天楼の形が生まれた。用途を分けるゾーニングは、アメリカ中の都市に広がった。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
本文
19世紀の末、エレベーターと鉄骨の構造が発達すると(最初の摩天楼)、ニューヨークやシカゴでは、高い建物が次々に建てられた。マンハッタンの南の金融街では、狭い通りの両側に、敷地いっぱいに十数階、二十数階の建物が立ち並び、通りは昼でも薄暗い谷底のようになった。
1915年、ブロードウェイに、保険会社のエクイタブル・ビルが完成した。38階建て、高さ160メートルあまりの建物は、一つの街区の敷地のほぼすべてを使い、まっすぐ空に立ち上がっていた。床面積は、それまでのどのビルよりも大きかった。この巨大な建物は、周りの通りと建物に3ヘクタール近い影を落とし、近くのビルの持ち主たちは、日が当たらなくなって借り手がつかないと訴えた。
一方、五番街の高級な商店の主たちは、衣料品の工場が近くに広がり、移民の労働者が通りにあふれることを嫌っていた。こうした不満を背景に、1916年7月25日、ニューヨーク市は、アメリカで初めて、都市全体を対象にしたゾーニング条例を定めた。
条例は、市の土地を、住宅地、商業地、用途を限らない地区などに分け、住宅地には工場を建てられないようにした。さらに、建物の高さについて、通りの幅に応じて、一定の高さを超えたら建物を通りから後ろへ下げなければならないと定めた。通りに光と空気を届けるためだった。敷地の4分の1の範囲までなら、塔はどこまでも高くしてよかった。
この決まりのもとで、ニューヨークの摩天楼は、上に行くほど段々に後退する形をとるようになった。建築家たちは、決まりの範囲で最大の床を取ろうと工夫し、ウェディングケーキやジッグラトのような形の建物が生まれた。1930年代のエンパイア・ステート・ビルやクライスラー・ビルも、その形を受け継いでいる。土地を用途ごとに分けるゾーニングは、その後アメリカ中の都市に広がり、1926年には最高裁判所もこれを合憲と認めた。一方で、住宅地を一戸建てだけに限るゾーニングは、貧しい人々や黒人を郊外から締め出す手段にもなった。