← 地図で見る
Event / できごと

郊外住宅の量産

Levittown and mass suburbia
AD1947年
重要度 5
AD1947年レヴィットタウン
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 場所と年から描いた図を置いています。

概要

復員兵に住宅がなかった。レヴィット父子は、ロングアイランドのジャガイモ畑を買い、家を工場方式で建てた。基礎を打たず、コンクリート板の上に建てる。部材を寸法通りに切って運び、27の工程に分けた職人の班が家から家へ移動する。1日30戸以上。7990ドル、頭金なしで復員兵に売った。1万7000戸。アメリカの郊外と自動車社会の原型になった。当初の売買契約には、白人以外への転売を禁じる条項があった。

場所

レヴィットタウン
40.73°N -73.51°E · アメリカ・ニューヨーク州

本文

**復員兵**。

1945年、第二次大戦が終わった。アメリカで、**1600万人**が復員した。

彼らには、住むところがなかった。

大恐慌(1929〜39年)で、住宅の建設がほぼ止まっていた。そして戦争中は、資材が軍需に回された。**16年間、家がほとんど建っていない**。

復員兵は、親の家に戻り、車の中で暮らし、路面電車の廃車体を改造して住んだ。

**復員兵援護法(G.I. ビル、1944年)**。

復員兵に、大学の学費、失業手当、そして——**頭金なしの住宅ローン保証**を与えた。

金は用意された。**家がない**。

**レヴィット**。

**エイブラハム・レヴィット**と、息子の**ウィリアム**と**アルフレッド**。ブルックリンのユダヤ系の家族。

戦前から住宅開発をしていた。戦争中、ウィリアムは海軍の建設大隊(シービーズ)で、**海軍の兵舎を大量に、速く建てる**仕事をした。

そこで、彼は方法を学んだ。

1946年、ロングアイランドのナッソー郡、**ヘムステッドのジャガイモ畑**、約1600万平方メートルを買った。

**工法**。

彼らが持ち込んだのは、**工場の流れ作業を、逆にした**ものである。

工場では、製品が動き、作業者が留まる。

住宅では、**家が動かない**。だから、**作業者が動く**。

(1)**地下室を作らない**。

これが、最も大きな節約だった。基礎を深く掘らず、**コンクリートの板(スラブ)を直接、地面に打つ**。中に温水暖房の配管を埋め込む。

(地元の建築規制は地下室を義務づけていた。レヴィットは、条例を変えさせた。)

(2)**部材を、あらかじめ切って運ぶ**。

現場で木を切らない。工場で寸法通りに切り、番号を付けて、トラックで運ぶ。

(レヴィットは、自社で製材所を持ち、釘の工場を持ち、木材の森林を買った。**垂直統合**である。)

(3)**27の工程に分ける**。

基礎、土台、床、壁の枠組み、屋根、外装、窓、配管、電気、壁板、塗装(**白の下塗り**の班と、**上塗り**の班が別)、床材、備品。

それぞれに、専門の班がいる。班は、**家から家へ、順に移動する**。

(4)**同じ間取り**。

初期のモデルは、**1種類**。後に、外観の違いを付けた数種類。

(5)**非組合員**。

レヴィットは、労働組合を入れなかった。工程を単純化して、非熟練の労働者を使った。組合と激しく対立した。

**速さ**。

1948年のピーク時、**1日に30〜36戸**。

一つの家の建設は、基礎を打ってから完成まで、**数日**。

**1947〜51年で、17,447戸**。

**値段**。

初期の家。

- 32平方メートル(後の型は約70平方メートル) - 2寝室、1浴室、居間、台所 - 未完成の屋根裏(後に自分で部屋にできる) - **冷蔵庫、コンロ、洗濯機、そしてテレビが備え付け**(テレビは、1950年から標準装備。当時としては驚くべきことである) - 土地の広さ 約550平方メートル

**7,990ドル**。

復員兵は、**頭金なし**、月々**56ドル**(当時の同地域の家賃より安い)。

売り出しの初日、**1,400戸**の契約が入った。

**広がり**。

- レヴィットタウン(ニューヨーク州)1947年 - レヴィットタウン(ペンシルベニア州)1952年 - レヴィットタウン(ニュージャージー州)1958年 - そして、プエルトリコ、フランス、スペイン。

同じ方式を真似た開発業者が、全米に広がった。

1950年代、アメリカの新築住宅の大半が、郊外に建った。

**1950年から1970年で、アメリカの郊外人口は2倍以上になった**。

**帰結**。

**(1)自動車社会**。

郊外には、商店がない。職場もない。学校は遠い。

**車が必須**である。

1956年、**連邦補助高速道路法**。州間高速道路網の建設。

郊外 → 車 → 高速道路 → さらに遠い郊外。

**(2)都心の空洞化**。

中産階級の白人が、郊外へ出た。

都心には、税収が減り、学校が荒れ、店が閉じた。「**ホワイト・フライト**」。

**(3)人種の隔離**。

そして、これが、この物語の核心の一つである。

**レヴィットタウンの初期の売買契約には、次の条項があった**。

「本物件は、**白人以外の人種の者が、居住し、使用してはならない**。ただし、居住者に雇われた家事使用人はこの限りでない」。

ウィリアム・レヴィットの弁明。「我々は、住宅問題を解決できる。あるいは、人種問題を解決できる。しかし、**両方を同時に解決することはできない**」。

(彼自身はユダヤ人であり、当時、ユダヤ人も多くの地域で排除の対象だった。)

1948年、最高裁が人種制限条項を**執行不能**と判断した(シェリー対クレーマー事件)。しかし、条項は契約書に残り、実務としての排除が続いた。

1953年の国勢調査で、レヴィットタウン(ニューヨーク)の住民**7万人のうち、黒人はゼロ**。

**レッドライニング**。

さらに深い問題があった。

連邦住宅局(FHA)と復員兵援護局が、住宅ローンを保証する際の基準を定めていた。

その審査の地図で、黒人が住む地区、あるいは黒人が住む可能性のある地区は、**赤で塗られた**。「危険」。融資の対象外。

つまり、**復員兵援護法の恩恵は、事実上、白人にだけ与えられた**。

黒人の復員兵は、同じ法律の対象でありながら、家を買えなかった。

住宅は、アメリカの中産階級にとって、**資産形成の主要な手段**である。家を買い、値上がりし、子に相続させる。

その入り口で、人種による差が付けられた。

(この差が、現在のアメリカの人種間の資産格差——白人世帯の中央値が黒人世帯の約6〜8倍——の主要な原因の一つである、と多くの研究が指摘している。リチャード・ロスタインの『**The Color of Law**』〈2017年〉が、この過程を詳細に追っている。)

1957年、ペンシルベニア州のレヴィットタウンに、黒人の家族**マイヤーズ夫妻**が転入した(前の所有者から転売を受けた)。

数百人の群衆が、家の前に集まった。石が投げられ、十字架が焼かれ、隣家がKKKの拠点になった。州警察が出動した。

**(4)均質さへの批判**。

1962年、フォーク歌手マルヴィナ・レイノルズが「**リトル・ボックス**」を書いた。

「小さな箱が、丘の中腹に。……**みんな同じ材料でできていて、みんな同じに見える**」。

社会学者たちが、郊外の順応性と孤立を論じた。デイヴィッド・リースマン『孤独な群衆』、ウィリアム・ホワイト『組織の中の人間』、ベティ・フリーダン『**新しい女性の創造**』(1963年。郊外の主婦の「名前のない問題」を論じた)。

一方で、実際に住んだ人々の記録を調べた研究(ハーバート・ガンズ『**レヴィットタウンの人々**』1967年。彼自身が住み込んで調査した)は、住民が退屈でも孤立してもおらず、多くが満足していたことを示した。

**現在**。

レヴィットタウン(ニューヨーク)は、いまも住宅地である。

当初の家は、ほとんどが増築され、改装され、外観がばらばらになった。屋根裏が部屋になり、車庫が建てられ、二階が乗った。

もとの姿のまま残っている家は、**数戸**とされる。

家の値段は、2020年代で、40万〜60万ドル。

1947年に7,990ドルで買った家である。

同じ時代のできごと

不確定性原理AD1927年3月ラマン効果の発見AD1928年2月28日張作霖爆殺事件AD1928年6月4日ペニシリンの発見AD1928年9月28日世界恐慌1929年カザフの飢饉1930年塩の行進1930年金本位制の崩壊AD1931年9月
AD1947年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります