概要
「ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢から目覚めると、ベッドの中で自分が巨大な虫に変わっているのに気づいた」。1912年に3週間で書いた。保険局の役人で、夜に書き、ほとんど出版せず、友人ブロートに「原稿は焼け」と遺言した。ブロートは焼かなかった。『審判』『城』。「カフカ的」。理由の分からない官僚の迷路。20世紀の言葉になった。
場所
50.08°N 14.44°E · チェコ
関わった人(1)
フランツ・カフカAD1883年7月3日–AD1924年6月3日 · 書いた本文
1912年11月17日、日曜日。カフカは29歳、労働者傷害保険局の職員で、ベルリンのフェリーツェ・バウアーに手紙を書き始めて2か月。夜、ベッドの中で、話を思いついた。「今日、私は小さな物語を書き留めるつもりです。ベッドの中で苦しんでいたときに頭に浮かんだもので、心の底から私を苦しめています」。12月7日まで、3週間、夜に書いた。途中で仕事の出張で中断して、「終わりが台無しになった」と思った。
「ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢から目覚めると、ベッドの中で自分が巨大な虫(ウンゲツィーファー)に変わっているのに気づいた」。
外交販売員。家族の借金を返すために働いている。虫になって、まず心配するのは、汽車に遅れること。上司が家に来る。家族は恐れ、妹グレーテだけが食事を運ぶ。父が林檎を投げて、背中に刺さって、腐る。下宿人。妹のヴァイオリン。「あれを追い出さなければ」と妹が言う。翌朝、死んでいる。掃除婦が「くたばってる」。家族は電車で郊外へ出かけ、娘の体が伸びたことに気づく。
ウンゲツィーファーは「害虫」「不浄な、生贄にできない動物」。甲虫か何かは書かれていない。カフカは出版社に「虫を描いてはいけない。遠くからでも」と手紙を書いた。表紙は、ドアを開けて暗い部屋を見る男。
1915年10月、月刊『ヴァイセ・ブレッター』。11月、クルト・ヴォルフ社「最後の審判の日」叢書。カフカは生前に7冊の薄い本を出した。それだけ。
『審判』(1914〜15年執筆)、『城』(1922年)、『失踪者(アメリカ)』(1912〜14年)は未完で、机の中。「マックス、最後の願いだ。私の遺したもの、日記、原稿、手紙、全部、読まずに焼いてくれ」。ブロートは「焼かない」と生前に言っていた。1925年『審判』、1926年『城』、1927年『アメリカ』。1939年、ナチスがプラハに来る前夜、ブロートは原稿を鞄に入れて、最後の列車でパレスチナへ。
「カフカエスク」。1940年代から英語に。理由を教えられずに裁かれ、たどり着けない城に呼ばれ、ある朝、虫になる。20世紀の役所と国家と、人がそこで感じるもの。カフカは、それを書いて、笑っていた、と友人が伝える。朗読しながら、笑いで読めなくなった。