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Event / できごと

ノルマントン号事件

Normanton incident
AD1886年10月24日
重要度 3
大英帝国イギリス領インド帝国ラタナコーシン朝(シャム)安南フィリピンフランス領インドシナAD1886年10月24日紀州沖(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1886年10月24日の版図を描いています(6勢力)。

概要

1886年10月、イギリスの貨物船ノルマントン号が紀州の沖で沈んだ。イギリス人の船長と乗組員は救命ボートで逃れたが、乗っていた日本人の乗客二十数人は全員が死んだ。条約で外国人を日本の法で裁くことはできず、イギリスの領事の海難審判は、船長を無罪とする。世論は激しく怒り、のちの裁判で船長は禁錮三か月とされたが、賠償は無かった。この事件は、不平等な条約を改めよという声を国じゅうに広げた。

場所

紀州沖位置は特定されていない(誤差 ±km)
33.60°N 135.80°E · 日本・和歌山県沖

本文

救命ボートの乗組員。

1886年10月、イギリスの貨物船ノルマントン号が、紀州の沖で沈んだ。

(1)イギリス人の船長と乗組員は、救命ボートで逃れた。

(2)そして、乗っていた日本人の乗客二十数人は、全員が死んだ。

裁けない法。

条約で、外国人を日本の法で裁くことはできなかった。

(1)イギリスの領事の海難審判は、船長を無罪とした。

(2)そして、世論は激しく怒った。

(3)さらに、のちの裁判で、船長は禁錮三か月とされたが、賠償は無かった。

残ること。

この事件は、不平等な条約を改めよという声を、国じゅうに広げた。

鹿鳴館の舞踏会で欧化を示しても、条約は変わらなかった。変えたのは、国民の怒りと、のちの戦争の勝利だった。

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