概要
1886年10月、イギリスの貨物船ノルマントン号が紀州の沖で沈んだ。イギリス人の船長と乗組員は救命ボートで逃れたが、乗っていた日本人の乗客二十数人は全員が死んだ。条約で外国人を日本の法で裁くことはできず、イギリスの領事の海難審判は、船長を無罪とする。世論は激しく怒り、のちの裁判で船長は禁錮三か月とされたが、賠償は無かった。この事件は、不平等な条約を改めよという声を国じゅうに広げた。
場所
紀州沖位置は特定されていない(誤差 ±km)
33.60°N 135.80°E · 日本・和歌山県沖
33.60°N 135.80°E · 日本・和歌山県沖
本文
救命ボートの乗組員。
1886年10月、イギリスの貨物船ノルマントン号が、紀州の沖で沈んだ。
(1)イギリス人の船長と乗組員は、救命ボートで逃れた。
(2)そして、乗っていた日本人の乗客二十数人は、全員が死んだ。
裁けない法。
条約で、外国人を日本の法で裁くことはできなかった。
(1)イギリスの領事の海難審判は、船長を無罪とした。
(2)そして、世論は激しく怒った。
(3)さらに、のちの裁判で、船長は禁錮三か月とされたが、賠償は無かった。
残ること。
この事件は、不平等な条約を改めよという声を、国じゅうに広げた。
鹿鳴館の舞踏会で欧化を示しても、条約は変わらなかった。変えたのは、国民の怒りと、のちの戦争の勝利だった。