気送管の郵便
概要
電信は速いが、局に持ち込んで打ってもらう必要があり、文が短く、内容が人に読まれる。都市の中では、手紙そのものを管で飛ばすほうが良い、と考えられた。地下に鉄の管を通し、圧縮空気で筒を押す。パリでは1866年から網が広がり、最盛期には総延長400キロを超えた。速達の便りは市内を三十分で渡った。プヌマティックと呼ばれ、電話が普及した後も長く残り、廃止は1984年である。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
19世紀の半ば、電信(モールスの電信)は都市と都市を一瞬で結ぶようになった。だが、電信が速いのは線の端から端までである。客は電信局まで出向いて文を書き、係に打ってもらわなければならない。届いた電報は紙に書き取られ、そこから宛先までは配達人が走る。大きな都市の中では、この局の外の部分がいちばん詰まった。しかも電文は短くなければならず、内容は係に読まれる。
そこで考えられたのが、紙そのものを管の中で飛ばすことである。地下に鉄の管を通し、手紙を詰めた筒を入れて、片側の空気を抜くか、反対側から圧縮した空気を送り込む。筒は管の中を勢いよく走る。速さは時速数十キロで、街の混雑とは関係なく進む。

最初の本格的な管は、1853年にロンドンで作られた。証券取引所と電信会社の本局の間、二百メートルほどを結び、電報の紙をやり取りするためのものだった。管はやがて延び、1860年代にはロンドンの各地の電信局を結ぶ網になった。ベルリンが1865年、パリが1866年に続き、ウィーン、プラハ、ミュンヘン、マルセイユなど、ヨーロッパの大都市に次々と広がった。アメリカでは1890年代から、ニューヨークやボストン、フィラデルフィア、シカゴで、郵便物を運ぶ管が敷かれた。
最も大きく、最も長く続いたのはパリである。初めは電報の中継のために作られたが、1879年からは一般の人々も手紙を送れるようになった。人々はこれを「プヌマティック」、あるいは「プティ・ブルー(小さな青)」と呼んだ。専用の便箋が青い紙だったからである。便箋は一枚の紙を折りたたみ、縁を糊で閉じると、そのまま封筒の役目も果たした。厚みを増やさず、筒にたくさん詰めるための工夫である。

使い方は簡単だった。郵便局で青い紙を買い、書いて窓口に出す。紙は筒に詰められて管に送り込まれ、宛先に近い局で取り出されて、配達人が自転車で届ける。市内なら三十分から二時間ほどで着いた。最盛期の1930年代には、管の総延長は四百キロを超え、百か所を超える局を結んでいた。
管が通っていたのは、下水道の中である。オスマンのパリ改造で整えられたパリの下水道は、人が立って歩けるほどの大きさがあり、道路を掘り返さずに管を通すことができた。直径六十五ミリほどの鉄の管に、中央の機械室から圧縮空気が送られ、筒は決まった経路を回って、目的の局で取り出された。

電話が普及してからも、プヌマティックは長く生き残った。理由はいくつかある。まず、書いたものが残ること。電話の声は消えるが、紙は残る。待ち合わせの約束も、取引の注文も、確かな証拠になる。次に、確実なこと。電話は相手が出なければそれまでだが、手紙は必ず届く。そして、フランスでは電話の普及がヨーロッパの中でも遅く、1970年代まで、電話を引くのに何か月も待つのが珍しくなかった。そのあいだ、パリの人々は急ぎの用を青い紙に書いた。
プヌマティックは、パリの小説や映画にたびたび登場する。プルーストの『失われた時を求めて』でも、登場人物たちは青い紙で約束を交わし、あるいは別れを告げる。急ぎの連絡といえば青い紙、という感覚が、パリの暮らしに根づいていた。普仏戦争で町が包囲されたとき、外へ手紙を運んだのは気球だった(包囲された都市から)が、町の中の急ぎの便りを支え続けたのは、この地下の管である。

終わりは1984年3月30日に来た。電話が行き渡り、テレックスやファクシミリが広まると、使う人は減った。一方で、下水道の中を走る数百キロの鉄管は、漏れ、詰まり、錆びる。それを保つ費用と人手が、運ぶ手紙の量に見合わなくなった。最後の日には、記念の便りがたくさん出されたという。
ほかの都市でも、管は次々に止まった。ニューヨークでは1953年に郵便の管が廃止された。1897年の開通式では、最初の筒に聖書と国旗と合衆国憲法の写しが入れられ、そのあとの筒には果物や生きた猫まで入れて送ってみせた、という話が伝えられている。世界で最後まで残った都市の気送管郵便はプラハのもので、2002年8月の大洪水で管が水に浸かり、そのまま止まった。設備は文化財として保存されている。

気送管そのものは、いまも身近にある。大きな病院では、血液や検体、薬を病棟と検査室のあいだで運ぶのに使われ、人が運ぶより速く確実である。銀行や工場、図書館でも、書類や小さな物そのものを動かさなければならない場所で使われてきた。空気で押すという原理は、百五十年以上たっても変わっていない。