テスココ湖の堤防
概要
洪水のあと、詩人でもある同盟国の王が16キロの堤防を設計した。塩水と真水を分け、湖上の都を守る。水道橋も引いている。
場所
19.43°N -99.13°E · メキシコ・メキシコシティ
関わった人(1)
ネサワルコヨトルAD1402年4月28日–AD1472年 · 設計本文
メキシコ中央高原、標高2200メートルを超える盆地の底に、かつて大きな湖が広がっていた。周りを山に囲まれて水の出口がなく、雨の季節には山から水が流れ込み、乾いた季節には水が干上がる。北のスンパンゴとハルトカン、真ん中のテスココ、南のソチミルコとチャルコ。いくつもの湖が浅くつながり、最も低いテスココ湖には塩分がたまって、水は塩辛かった。南の湖は湧き水に恵まれた真水だった。
1325年ごろ、メシーカの人々はこのテスココ湖の西の、葦の茂る小島に都テノチティトランを建てた(テノチティトランの建設)。島の周りの浅瀬には、泥と水草を積み上げて作る畑チナンパを広げ、トウモロコシや豆やカボチャを育てた(トウモロコシの栽培化)。だがチナンパの作物は塩水を嫌う。湖の水位が上がり、東の塩辛い水が流れ込めば、畑は台無しになり、都そのものが水に浸かる。

ネサワルコヨトルは1402年、湖の東岸の町テスココの王子として生まれた。16歳のとき、湖の西岸の強国アスカポツァルコのテパネカ人にテスココは攻め落とされ、父の王は殺された。王子は木の上に隠れ、父が討たれるのを見ていたと伝えられる。それから10年、逃亡と潜伏の日々が続いた。1428年、ネサワルコヨトルはテノチティトランの王イツコアトルと手を組んでアスカポツァルコを倒し、テノチティトラン、テスココ、トラコパンの三つの都市が同盟を結んだ。これが、のちにアステカ(アステカ)と呼ばれる帝国の始まりになる。ネサワルコヨトルはテスココの王の座を取り戻した。
1449年ごろ、大雨で湖があふれ、テノチティトランは水に呑まれた。家々は流され、チナンパは塩水に浸かった。テノチティトランの王モクテスマ1世は、同盟者のネサワルコヨトルに助けを求めた。テスココの王は、湖を仕切る長い堤防を築くことを考えた。
堤防は、湖の北のアツァコアルコから南のイスタパラパまで、およそ16キロにわたって湖の中を一直線に走った。何千本もの木の杭を二列に打ち込み、そのあいだに石と土を詰めて固めた。同盟する周りの都市から大勢の人々が集められ、ネサワルコヨトル自身も働く人々に交じって石を運んだと伝えられる。堤防には水門が設けられ、水位に応じて開け閉めができた。
堤防の西側、テノチティトランを囲む水域は、こうして東の塩辛い大きな湖から切り離された。南の湖から流れ込む真水と湧き水が満ち、水は塩分が薄くなった。洪水の勢いは弱まり、都の周りにチナンパの畑がさらに広がった。のちにスペイン人はこの堤防の西側を「メキシコの湖」と呼んだ。

水の問題は、もう一つあった。湖の水は飲むのに適さない。テノチティトランの人々の飲み水は、西の岸のチャプルテペクの丘から湧く泉に頼っていた。15世紀の半ば以降、この泉から都まで、湖の上を渡る水道が引かれた。ネサワルコヨトルが工事に関わったとも伝えられる。水道には二本の水路が並べられていて、一本を掃除するあいだは、もう一本で水を送った。のちに都を訪れたコルテス(エルナン・コルテス)も、この仕組みに目を見張って書き残している。
ネサワルコヨトルは、法を定め、学問と芸術を保護し、テスココを湖の周りで最も洗練された都にした。そして詩人としても名を残した。彼の作とされる詩が、征服後にスペイン人の修道士たちが書き写したナワトル語の歌の中に残っている。地上にいるのは永遠ではない、ほんのしばらくのあいだだけだ、と人の命のはかなさを歌う詩が、とくによく知られている。ただし、どの詩が本当に彼の作なのかは、研究者のあいだで議論がある。彼は1472年に亡くなった。
1521年、コルテスの率いるスペイン人と、アステカに反発した先住民の連合軍がテノチティトランを攻めた(テノチティトランの陥落)。スペイン人は湖の上で戦うために小型の帆船を作り、堤防の一部を切り開いて船を通した。都が落ちたあと、壊れた堤防は元どおりに直されず、湖を管理する仕組みも受け継がれなかった。

スペイン人は、湖を守るのではなく、水を抜くことを選んだ。17世紀の初めから、盆地の外へ水を流し出す運河とトンネルの工事が始まった。それでも1629年の大洪水では、町が数年にわたって水に浸かった。排水の工事は何百年も続き、湖はほとんど姿を消した。いま、その湖の底の上に巨大なメキシコシティが広がっている。地下水を汲み上げ続けたために、柔らかい湖の泥の地盤は縮み、場所によっては毎年数十センチずつ地面が沈んでいる。水の都を水とともに生かそうとした先住民の工夫と、水を抜いて陸に変えた征服者の選択。その結果を、いまの都市は抱え続けている。