概要
テキサスの併合と、リオ・グランデかヌエセス川かの境界の争い。ポーク大統領は戦争を欲しがっていた。ヴェラクルスに上陸したスコットがメキシコシティに入った。1848年、グアダルーペ・イダルゴ条約。メキシコは領土の半分、カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコを1500万ドルで渡した。グラントは「強い国が弱い国にした、最も不正な戦争」と回想した。
場所
19.43°N -99.13°E · メキシコ
関わった人(2)
ジェームズ・ポークAD1795年11月2日–AD1849年6月15日 · 戦争を欲しがったユリシーズ・グラントAD1822年4月27日–AD1885年7月23日 · 若い中尉で本文
テキサスは1836年にメキシコから独立して、1845年、合衆国に併合された。メキシコは併合を認めず、境界はヌエセス川(メキシコの主張)かリオ・グランデ(テキサスの主張)か。ポーク大統領はカリフォルニアも欲しかった。スライデルを買収の交渉に送り、メキシコは会わなかった。1846年1月、テイラー将軍をリオ・グランデへ送った。4月25日、メキシコの騎兵が川の北でアメリカの偵察隊を襲った。16人。ポークは「メキシコがアメリカの領土でアメリカの血を流した」と議会に言った。5月13日、宣戦。
イリノイの1年生議員リンカーンは「血が流れた正確な場所(スポット)を示せ」と決議案を出した。「スポッティ・リンカーン」。ソローは戦争への税を払わず、1晩牢に入って『市民の不服従』を書いた。
テイラーは北から。パロ・アルト、モンテレー、1847年2月、ブエナ・ビスタ(サンタ・アナに勝った)。カーニーはサンタフェを取ってカリフォルニアへ。カリフォルニアでは、開拓者が「熊の旗」で反乱し、海軍が港を取った。スコットは1847年3月、ヴェラクルスに上陸(アメリカの最初の大規模上陸作戦)、セロ・ゴルド、チュルブスコ、モリノ・デル・レイ、チャプルテペク(士官学校の少年兵6人が降伏を拒んで死んだ。「ニーニョス・エロエス」)。9月14日、メキシコシティ。「モンテスマの間」(海兵隊の歌)。
1848年2月2日、グアダルーペ・イダルゴ条約。メキシコは、リオ・グランデを境界と認め、上カリフォルニア、ニューメキシコ(いまのカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、コロラドとワイオミングの一部)を1500万ドルで譲った。130万平方キロ。メキシコの半分。1万人のメキシコ人がアメリカ人になった。9日前、カリフォルニアのサッターの製材所で金が見つかっていた。
アメリカの死者1万3000(戦死1700、病気1万1000)。メキシコ2万5000。
グラント中尉(テイラーとスコットの下にいた)は回想録に書いた。「強い国が弱い国に対して行った、最も不正な戦争の一つだった。南北戦争は、その罰だった」。
奪った土地に奴隷制を認めるかで、南北が割れた。ウィルモット条項、1850年の妥協、カンザス・ネブラスカ法。13年後、南北戦争。