京都盲唖院
概要
目の見えない子と耳の聞こえない子は、学制で学校に行くことになっても、行ける学校がなかった。京都の小学校の教師だった古河太四郎は、手真似と、触れる教具を使って教える工夫を重ね、町の人々の運動が府を動かした。1878年、日本で最初の盲唖院が開いた。開業式は雨だったが、三千人が集まったと伝えられる。入学したのは四十八人。読み書きだけでなく、手に職をつける科も置かれた。教えられないとされてきた子どもたちが、教える対象として制度の中に入った。
場所
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
本文
1872年、明治政府は学制を公布し(学制の公布)、身分や男女の別なく、すべての子どもを学校に通わせるという方針を打ち出した。全国に小学校が次々に建てられていった。だが、目の見えない子と耳の聞こえない子は、その「すべての子ども」の中に入っていなかった。学校に通う決まりができても、その子たちが学べる学校はどこにも無く、どう教えればよいのかを知る教師もいなかった。
それまでの日本で、目の見えない人々には、決まった生きる道があった。琵琶を弾いて語る琵琶法師(『平家物語』と琵琶法師)の流れをくむ人々は、中世から当道座という組織を作り、琵琶や箏、三味線の演奏、按摩、鍼の仕事を束ねていた。組織の中で修業を積めば、高い位と収入を得ることもできた。江戸幕府もこの組織を保護した。ところが明治に入ると、1871年に当道座は解体され、盲人たちはその後ろ盾を失った。耳の聞こえない人々には、もともとそうした組織も無く、家の中で家族と身振りでやり取りしながら暮らすことが多かった。

京都の待賢小学校で教えていた古河太四郎は、1870年代の半ばから、校内で耳の聞こえない子どもたちを教える試みを始めた。彼は、手の形や動きで言葉を表す方法を工夫し、子どもたちと意思を通わせた。さらに目の見えない子どもたちのためには、木の板に文字を浮き彫りにして指でなぞらせたり、触れて形の分かる模型や地図を作ったりした。体を動かす遊びや体操も取り入れた。
当時、ヨーロッパではすでに、パリで18世紀に始まったろう学校と手話や、フランスで考え出された点字の考案が知られていたが、古河がそれらを詳しく知っていたわけではなかったと考えられている。彼は目の前の子どもたちと向き合いながら、一から教え方を考え出していった。教えられないと思われていた子どもたちが字を覚え、計算をし、言葉を交わすようになるのを見て、人々は驚いた。

京都は、明治の初めに都が東京へ移ったあと、町の衰えを防ぐために、全国に先駆けて町の人々の手で小学校を作るなど、教育に熱心な土地だった。古河の試みに心を動かされた町の有力者や盲人たちが学校を作るよう働きかけ、京都府もこれを支えた。そして1878年5月24日、日本で最初の、目の見えない子と耳の聞こえない子のための学校、京都盲唖院が開かれた。開業式の日は雨だったが、三千人もの人々が集まったと伝えられる。最初に入学したのは48人だった。
盲唖院では、読み書きや算術だけでなく、自分の力で暮らしていくための職業の教育にも力が入れられた。目の見えない生徒には按摩や鍼、箏や三味線などの音曲を、耳の聞こえない生徒には裁縫や絵画、木工などを教えた。古河は、教える道具も次々に作った。目の見えない子のための凸凹の文字や算盤、耳の聞こえない子に発音を教えるための工夫など、彼の考えた教具の数々は、いまも京都府立盲学校に残され、国の重要文化財に指定されている。
2年後の1880年には、東京でも目の見えない人のための訓盲院が授業を始め、やがて耳の聞こえない子どもも受け入れるようになった。盲唖院の経営は楽ではなく、京都でも、府から市へと運営が移るなど、何度も存続の危機に直面した。古河自身も、のちに大阪に移り、そこで盲唖学校の校長として教育を続けた。
日本の盲と聾の教育は、その後ゆっくりと形を整えていった。1890年には、目の見えない人が読み書きできる日本語の点字が東京で考案された。1923年には、府県に盲学校と聾唖学校を置くことを義務づける法令が出され、一つの学校で両方を教えていた盲唖院は、やがて盲学校と聾学校に分かれていった。
だが、目の見えない子と耳の聞こえない子が学校に通うことが、ほかの子どもたちと同じように義務になったのは、第二次世界大戦のあとの1948年のことである。京都盲唖院が開かれてから70年が経っていた。それより重い障害のある子どもたちが通う養護学校が義務になるのは、さらに30年あまりあとの1979年だった。
教えられない子どもなのか、それとも、教え方を知らないだけなのか。古河太四郎と京都の人々は、その問いに一つの答えを出した。教えられないとされてきた子どもたちが、教える対象として制度の中に入った最初の一歩は、明治の京都の小さな教室から始まった。それから9年後、アメリカでは、目も見えず耳も聞こえない一人の少女が、手のひらに綴られた文字で言葉を得ることになる(ヘレン・ケラーが言葉を得た日)。