できごと

電話交換手

The telephone operators
AD1878年9月1日
重要度 4
大英帝国カナダアメリカ合衆国デンマークアメリカ合衆国ヌエバ・エスパーニャ副王領スペイン帝国スペインAD1878年9月1日ボストン
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1878年9月1日の版図を描いています(8勢力)。

概要

初期の電話は、交換台に繋ぎ替える人が要る。最初に雇われたのは電信の少年たちだった。乱暴な口をきき、客と喧嘩し、勝手に線を抜いた。ボストンの交換局が、エマ・ナットという女性を雇う。評判が良く、以後、交換手は女性の職業になった。声の質、忍耐、そして低い賃金が理由に挙げられている。数十万人がこの職に就き、そして自動交換機が、それを消していった。応答の速さと丁寧さは、機械が引き継がなかったものである。

場所

ボストン
42.36°N -71.06°E · アメリカ・マサチューセッツ州

本文

初期の電話機には、番号を回すダイヤルが付いていなかった。受話器を取ると交換局につながり、出てきた交換手に、誰それにつないでほしいと頼む。交換手が交換台の差し込み口にコードを差し替えて、相手の線とつなぐ。こうした中継の仕組みは、電話が使われ始めてすぐに必要になった。誰でも誰にでもかけられるようにするには、加入者の一人ひとりを、ほかの全員と線で結ばなければならない。百人なら五千本近く、千人なら五十万本近い線が要り、とても引けるものではない。そこで中央に一つの局を置き、全員の線をそこに集めて、局でつなぎ替えることにしたのである。

1876年にベルの電話が特許を得てまもなく、1877年から78年にかけて、アメリカ各地に最初の交換局ができた。最初に交換手として雇われたのは、十代の少年たちだった。電信の局ではすでに少年たちが電報の配達や雑用をしていて、同じような仕事の延長と考えられたうえ、賃金が安かったからである。

電電公社東京市外電話局の交換手(1963年)
電電公社東京市外電話局の交換手(1963年)Wikimedia Commons NTT Public Corporation · Public domain

これはうまくいかなかった。少年たちは客に乱暴な口をきき、言い返されれば罵り返した。いたずらで勝手に線を抜き、わざと違う相手につないだ。局の中では絶えず動き回り、叫び、取っ組み合いをしていたと、当時の記録は伝えている。しかも長続きせずに辞めていった。

1878年9月1日、ボストンの電話の会社が、エマ・ナットという十代の女性を交換手として雇った。世界で最初の女性の電話交換手とされる。まもなく妹のステラも雇われた。エマの評判はきわめてよく、彼女は三十年あまりこの仕事を続けたと伝えられる。

八重洲町電話交換局(1902年頃)
八重洲町電話交換局(1902年頃)Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

会社が女性の交換手を好んだ理由として、当時いくつかのことが挙げられた。声が落ち着いていて聞き取りやすいこと。もっとも、女性の声のほうが当時の電話の音質に合っていたという説明には、はっきりした技術の根拠はない。同じことを何百回繰り返しても苛立たない忍耐と、客に礼を言う丁寧さ。そして、少年よりもさらに安い賃金で雇えることである。会社の記録には、この最後の点がはっきりと書かれている。1880年代から交換手は急速に女性の仕事になり、二十世紀の初めには、アメリカの交換手のほとんどすべてが女性になっていた。1920年ごろのアメリカでは、二十万人近い女性がこの仕事に就いており、電話会社は国内でも最大級の女性の雇い主だった。

仕事は過酷だった。一日に何時間も、高い椅子に背筋を伸ばして座り続け、重い受話器を頭に付けたまま、ひっきりなしに入る呼び出しに応える。数秒以内に応答することが求められ、一人が一時間に何百回もの接続をこなした。後ろを監督者が歩き回り、通話を聞いて、決められた言い回しどおりに応答しているかを確かめた。私語は禁じられ、決まった文句のほかは口にしてはならなかった。多くの会社は既婚の女性を雇わず、結婚すれば辞めさせる規則を持っていた。落雷や線の故障で、耳に激しい音が飛び込んでくる危険もあった。

広島電話局市外交換室(1955年頃)
広島電話局市外交換室(1955年頃)Wikimedia Commons 中国電気通信局 · Public domain

それでも交換手たちは、規則の外で多くのことをした。小さな町の交換手は町じゅうの人の暮らしを知っていて、あの人ならいま隣の家にいますと教えたり、留守を伝えたりした。火事や洪水、嵐のときには、局にとどまって片端から電話をかけ、危険を知らせ続けた交換手の話が、各地に数多く残っている。もちろん、町の誰が誰と話しているかを知っているということは、人の私生活をのぞける立場にいるということでもあった。

交換手たちは、声を上げることもあった。1919年、ニューイングランド一帯の交換手たちがストライキに入り、六日間にわたって電話を止め、賃上げを勝ち取った。同じころの第一次世界大戦では、アメリカ陸軍がフランス語と英語のできる女性の交換手をフランスの前線へ送った。「ハロー・ガールズ」と呼ばれた二百人あまりの女性たちは、軍服を着て宣誓し、軍の規律のもとで前線の通信を支えた。だが戦後、彼女たちは軍人ではなかったとされ、退役軍人としての扱いも手当も受けられなかった。その地位が認められたのは1970年代の終わり、存命の人がわずか数十人になってからだった。

第一次世界大戦に関わる図版:Bataille de Verdun 1916
第一次世界大戦Wikimedia Commons Collection DocAnciens/docpix.fr · Public domain

交換手の仕事を消していったのは、自動の交換機である。1891年、アメリカのカンザスシティの葬儀屋アルモン・ストロージャーが、電話をかける側の操作で自動的に相手につながる交換機の特許を取った(交換手を外す)。商売敵の葬儀屋の妻が交換手で、自分への電話をそちらに回していると疑ったのがきっかけだったという話がよく語られるが、裏付けは乏しい。やがて電話機にダイヤルが付き、利用者が自分で番号を回すようになった。

自動化はゆっくりと進んだ。アメリカでは1920年代から都市の交換局が少しずつ切り替わり、長距離の通話の自動化は第二次大戦後に本格化した。手で回す発電機の電話機と手動の交換台を使う最後の局が、メイン州の小さな町で閉じたのは1983年のことである。日本でも、電話の自動化が全国で完了したのは1979年だった。何十万人もの女性の職場は、半世紀あまりのうちに姿を消した。

1900年パリの電話局にて、業務中の女性交換手
1900年パリの電話局にて、業務中の女性交換手Wikimedia Commons Anonymous Unknown author · Public domain

機械は速く、安く、そして間違えない。だが、あの人なら隣にいます、とは言わない。嵐の夜に片端から電話をかけて回ることもない。そうした気配りは、交換機の仕様書のどこにも書かれていなかったし、いまの通信の仕組みにも引き継がれなかった。

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