概要
ナイルの源を探して。二人とも病気で、バートンは歩けず、スピークは目が見えなかった。帰りにスピークが一人で北へ行き、ヴィクトリア湖を見て「これがナイルの源」。バートンは認めなかった。1864年、討論の前日、スピークが猟銃で死んだ。事故か自殺か。
場所
-6.00°N 29.50°E · タンザニア
関わった人(2)
リチャード・バートンAD1821年3月19日–AD1890年10月20日 · 歩けなかったジョン・ハニング・スピークAD1827年5月4日–AD1864年9月15日 · 目が見えなかった本文
1856年、王立地理学会。「ナイルの源。『月の山』」。プトレマイオス。 バートン。「ソマリランドで、頬を槍で」。1855年。ベルベラ。スピークも、11か所。 1857年6月。ザンジバル。バガモヨ。 「アラブの奴隷の道」。 「タボラ」。 「マラリア。バートンは歩けず、担架」。 「スピークは、眼病。ほとんど見えない」。 1858年2月13日。 「バートン。『私は、湖を、見た。丘から。金色の』」。 「タンガニーカ」。 「ルシジ川は、流れ込んでいるか、出ているか」。 「地元の人。『流れ込んでいる』」。 「ナイルではない」。 「バートンは、それでも」。 「帰り道。タボラ。バートンは病気」。 「スピーク。『北に、大きな湖があると』」。 「一人で。25日」。 1858年8月3日。 「ムワンザ」。 「ヴィクトリア・ニアンザ」。 「これが、ナイルの源。私は疑わない」。 「彼は、湖の南端を、一日見ただけ」。 「バートン。『証拠がない』」。 「口論」。 1859年、スピークが先にロンドンへ。「私が源を」。 「バートンは12日遅れて着いた。話は、決まっていた」。 1860年、スピークとグラント。 1862年7月28日、リポン滝。「ナイルが、湖から出る」。 「川を全部下らなかった。北岸を歩いた」。 「ゴンドコロで、ベイカーに」。 「ザ・ナイル・イズ・セトルド」。電報。 1864年9月16日。バース。英国科学振興協会。 「バートン対スピーク」。 9月15日。 「スピークは、いとこの猟場で、猟銃を持って、石垣を越えて」。 「胸」。 「事故」。「自殺」。 「バートンは、聞いて、泣いた」。 「バートンは、『彼は、討論を恐れた』」。 「1874年、スタンリーが、湖を回った。スピークが正しかった」。 「1875年」。 「バートンは、認めた。たぶん」。 「タンガニーカ湖は、コンゴへ」。 「ヴィクトリア湖は、ナイルへ」。 「二人とも、正しかった。湖については」。 「バートンは、名前を、ナイルに残せなかった」。 「スピークは、名前を、湖に残さなかった。女王の名を」。 「スピーク・ガルフ」。 「バートン・ベイ」。 「タンガニーカ湖の岸に」。