概要
条約と将軍継嗣に反対した公家・大名・志士を百人以上処分した。吉田松陰もここで死ぬ。
場所
江戸
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
関わった人(2)
井伊直弼1815年–1860年3月24日(安政7年3月3日) · 主導橋本左内AD1834年4月19日–AD1859年11月1日 · 斬られた本文
処分されたのは百人を超える。 公家、大名、藩士、学者。 連座して謹慎させられた者を含めればもっと多い。
理由は二つあった。 条約の勅許なし調印への批判を封じることと、 将軍の跡継ぎ争いで敗れた側を潰すこと。 政策と人事が同じ弾圧の中で処理されている。
吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎らが死罪になった。 松陰の罪状は、幕府の要人暗殺を自分から供述したことによる。 聞かれてもいないことを話している。
弾圧は反対派を減らさなかった。 処刑された者の教え子が、10年後に政府を作る。 そして井伊自身は、2年後に門前で斬られる。