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Event / できごと

英仏海峡トンネルの開通

Channel Tunnel
AD1994年5月6日
重要度 3
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1994年5月6日の版図を描いています(43勢力)。

概要

イギリスとフランスの間の海峡の下にトンネルを掘る計画は、ナポレオンの時代から何度も持ち上がったが、島国の守りが崩れることを恐れるイギリスが、そのたびに止めてきた。1980年代、両国の首脳はついに民間の資金で掘ることに合意し、両岸から掘り進めたトンネルは、1990年12月、海の下でつながった。1994年5月6日、エリザベス2世女王とミッテラン大統領が開通を祝った。全長50キロあまりのうち、38キロは海の下を通る。秋にはロンドンとパリを3時間で結ぶ列車ユーロスターが走り始め、イギリスは鉄道で大陸とつながった。

場所

英仏海峡トンネル位置は特定されていない(誤差 ±25km)
51.01°N 1.51°E · ドーバー海峡の海底(イギリスのフォークストンとフランスのコケル)

本文

ドーヴァー海峡は、最も狭いところで34キロしかない。1802年、フランスの技師アルベール・マチューは、海の下にトンネルを掘り、馬車を走らせる計画をナポレオンに示した。19世紀の後半には、実際に両岸から試験の坑道が掘られたが、イギリスの軍の人々は、トンネルを通って大陸の軍が攻めてくることを恐れ、工事は止められた。島国であることは、イギリスの守りの要だった。その後も計画は何度も持ち上がり、そのたびに立ち消えになった。1970年代にも工事が始まったが、イギリスの財政難で中止された。

1986年、イギリスのサッチャー首相とフランスのミッテラン大統領は、海峡の下に鉄道のトンネルを掘ることで合意した。サッチャーは、国の金を使わず、民間の資金だけで造ることを条件にした。英仏の企業の連合ユーロトンネル社が工事と運営を担い、1988年、両岸から巨大な掘削機が掘り始めた。海底の下の、水を通しにくい白亜の層を選んで掘り進めた。

1990年12月1日、海の下で、イギリス側とフランス側から掘ってきたトンネルがつながった。両国の作業員は、狭い穴を通して握手し、国旗を交換した。トンネルは、列車が走る二本のトンネルと、その間の点検と避難のためのトンネルの、三本からなる。全長は50キロあまり、そのうち38キロは海の下を通り、海底のトンネルとしては世界で最も長い区間を持つ。

1994年5月6日、エリザベス2世女王とミッテラン大統領が、それぞれの国から列車でトンネルを抜け、フランス側のコケルと、イギリス側のフォークストンで開通の式典を祝った。11月には、ロンドンとパリ、ブリュッセルを結ぶ高速列車ユーロスターが走り始め、ロンドンとパリの間はおよそ3時間で結ばれた。車をそのまま載せて運ぶシャトル列車も走った。

工事費は予定の倍近くに膨らみ、ユーロトンネル社は長く借金に苦しんだ。トンネルの中での火災や、難民がトンネルを通ってイギリスへ渡ろうとする問題も起きた。それでも、海峡を渡る旅は大きく変わり、ロンドンとパリの間の旅客の多くは、飛行機から列車に移った。島国イギリスは、鉄道で大陸とつながった。

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