概要
海から行けなくなった日本軍は、1942年7月、ニューギニア島の北岸に上陸し、標高二千メートルを超えるオーエン・スタンレー山脈を歩いて越え、ポートモレスビーを目指した。道は人がひとり通れるほどの山道である。迎え撃ったのは、訓練の浅いオーストラリアの民兵の部隊だった。日本軍は9月、ポートモレスビーまで五十キロほどのところまで迫ったが、補給が続かず、飢えと病に倒れながら引き返した。オーストラリアでは、国を守った戦いとしていまも記憶されている。荷を担ぎ、傷ついた兵を背負って山を越えたパプアの人々の働きも語り継がれる。
場所
-8.88°N 147.74°E · パプアニューギニア・オロ州
本文
珊瑚海海戦で海の道を断たれた日本軍は、陸から山を越えることにした。1942年7月21日、ニューギニア島の北岸のブナとゴナに上陸し、ココダの村を経て、オーエン・スタンレー山脈を南へ越える。ポートモレスビーまでは、地図の上で二百キロに満たない。
ココダの道は、村と村を結ぶ細い山道だった。雨が降り続き、泥の急な坂を上っては下る。一日に進めるのは数キロで、熱帯の病が兵を倒した。迎え撃ったのは、訓練を終えたばかりのオーストラリアの民兵の大隊で、兵の多くは十代だった。彼らは退きながら戦い、少しずつ日本軍の足を遅らせた。
9月半ば、日本軍はイオリバイワの尾根に達し、ポートモレスビーまで五十キロほどに迫った。しかし、背後のガダルカナルでアメリカ軍との戦いが始まり、兵と補給はそちらへ回された。食べ物の尽きた日本軍は、来た道を引き返すよう命じられる。退く道の上で、多くの兵が飢えと病で死んだ。
オーストラリアでは、ガリポリと並んで、国の成り立ちを語る戦いになっている。荷を運び、担架で傷ついた兵を山越しに運んだパプアの人々は、「縮れ毛の天使」と呼ばれた。その呼び名には、当時の人種の見方も刻まれている。道は、いまも歩いて越える人が絶えない。