抽選器
概要
アテナイの民主政では、役人の多くと裁判の陪審員を、選挙ではなくくじで選んだ。選挙をすれば、弁の立つ者や金のある者が勝つ。くじなら誰にでも順番が回る。法廷の朝には、石の板に名札を差す溝が縦横に並んだ抽選器が使われた。市民は自分の青銅の名札を溝に差し、脇の筒から黒と白の玉を一つずつ落として、白が出た列の者がその日の陪審員になる。誰がどの法廷に座るかは、朝まで誰にも分からない。買収する相手が、前もって決まらないのである。ただし戦争を率いる将軍だけは、くじではなく選挙で選んだ。
場所
37.98°N 23.73°E · ギリシア・アッティカ
本文
いま民主政と言えば、選挙のことを思い浮かべる。だが古代アテナイの人々は、選挙を民主的な仕組みだとは考えていなかった。選挙をすれば、名の知れた家柄の者が勝つ。弁の立つ者が勝つ。金を配り、人をもてなす余裕のある者が勝つ。それは「優れた者」を選ぶ仕組みであり、ギリシア語でいえば優れた者の支配、アリストクラティア、つまり貴族政の方法だった。民主政の方法は、くじである。
アテナイの民主政は、ソロンの改革からクレイステネスの改革を経て、紀元前5世紀のペリクレスの時代に形を整えた。紀元前4世紀には、役人の大半がくじで選ばれていた。多くの役は任期が1年で、同じ役を二度務めることはできなかった。国政の日々の運営を担う500人の評議会も、10の部族から50人ずつ、くじで選ばれた。そして市民が市民を裁く民衆法廷の陪審員も、くじで選ばれた。
一方で、くじで選ばない役もあった。戦争で軍を率いる10人の将軍である。負ければ国が滅びかねない役は、能力と経験を見て、選挙で選んだ。紀元前4世紀には、国の財政や水道を預かる専門の役も選挙になった。くじと選挙は、役の性格によって使い分けられていた。
民衆法廷では、一つの裁判に数百人の陪審員が座った。私人どうしの争いなら201人や401人、国にかかわる重い裁判なら501人以上である。毎年、30歳以上の市民の中から陪審員を務めたいと名乗り出た6000人が名簿に登録され、裁判の開かれる朝ごとに、その日の陪審員がくじで選ばれた。ペリクレスの時代からは、陪審員に日当が払われた。貧しい市民でも仕事を休んで法廷に座れるようにするためである。
その朝のくじに使われたのが、クレロテリオン(抽選器)である。大きな石の板で、表面に細い溝が縦横に何列も刻まれ、脇に縦長の筒が取り付けられていた。市民は一人ひとり、自分の名札を持っていた。名前と、父の名と、住んでいる区の名が刻まれた札で、はじめは木製、のちには青銅で作られた。
朝、法廷の入口で、市民は自分の部族の抽選器の溝に名札を差し込む。名札はいくつかの組に分けられ、組ごとの縦の列に並ぶ。役人が筒の上から黒と白の玉を入れ、下から一つずつ取り出していく。白い玉が出れば、その横の一列に名札を差した者たちが、その日の陪審員になる。黒い玉が出れば、その列の者は家に帰る。選ばれた者は、さらにどの法廷に入るかをくじで決められた。
こうした手順は、アリストテレスとその弟子たちがまとめた『アテナイ人の国制』に細かく書かれている。この書物は長く失われていたが、19世紀の終わりにエジプトで見つかったパピルスから読み出された。アテナイの広場(アゴラ)の発掘では、溝の刻まれた石の板のかけらや青銅の名札も見つかり、記述が裏づけられた。
なぜ、ここまで手の込んだ仕掛けを使ったのか。いちばんの狙いは、買収をさせないことだった。誰が陪審員になるかは、その朝まで誰にも分からない。どの法廷に座るかも、その場のくじで決まる。前もって買収する相手が決まらないうえ、数百人を一度に買うことはできない。有力者が陪審員に手を回して判決を左右する道は、仕組みの上で塞がれていた。
もう一つの狙いは、誰にでも順番が回ることだった。くじなら、家柄も弁舌も財産も関係ない。市民は、治める者と治められる者を代わる代わる務める。アリストテレスは、それを民主政のしるしだと書いている。紀元前406年、海戦の後に遭難者を救えなかった将軍たちをまとめて裁こうとした民会で、その日の当番にあたる評議員の中に、くじで評議員に選ばれていたソクラテスがいた。ソクラテスは、法に反するまとめての裁判に、ただ一人反対したと伝えられる。
くじには当然、欠点もある。向いていない者も選ばれる。ソクラテスは、船の舵取りや笛吹きをくじで選ぶ者はいないのに、国の役人はくじで選ぶのかと、くじの制度をからかっていたと、彼を告発した者たちは非難した。アテナイの人々の答えは、仕組みの側で備えることだった。任期を短くする。一人に大きな力を持たせない。役につく前には資格を審査し、任期が終わればその間の会計と行いを厳しく調べる。向かない者が選ばれても、国が傾かないようにしておく。くじは、こうした備えと一組になって初めて働いた。
いま、くじで公職を選ぶ国はほとんど無い。だが、くじが残っているところもある。英米の陪審員や、日本の裁判員は、くじで市民の中から選ばれる。近年は、アイルランドやフランスなどで、くじで選んだ市民の集まりに、同性婚や気候変動の対策といった難しい問題を話し合わせる試みも行われている。誰にでも順番が回るという2400年前の考えは、まだ消えていない。
くじの使い方は、時代と場所によって大きく変わった。中世のヴェネツィアは、元首を選ぶときに、くじと選挙を何段階も交互に重ねて、特定の家が結果を操れないようにした(ドージェの選び方)。室町時代の日本では、将軍の跡継ぎを神前のくじで決め、その結果、一人の将軍に強い力が集まった(くじ引き将軍)。くじは、それを囲む仕組みによって、力を散らす道具にも、集める道具にもなった。