できごと

ドージェの選び方

Election of the Doge of Venice
AD1268年
重要度 3
モンゴル帝国フィン・ウゴル系タイガの狩猟採集民トゥアレグの遊牧諸部族西遼(カラ・キタイ)クマン(キプチャク)ベルベル諸部族ブワイフ朝マムルーク朝ファーティマ朝サーミ神聖ローマ帝国そのほかのルーシ諸公国ノルウェーヴォルガ・ブルガールムワッヒド朝ノヴゴロド公国マクリアウラジーミル・スーズダリ公国ポーランド王国フランス王国スウェーデンブルガール可汗国東ローマ帝国アンジュー帝国ハンガリー王国ガーリチ=ヴォルィーニ公国アルメニアケルト系の諸王国キーウ公国IbaditesComté de Toulouseリトアニア大公国デンマークLeónブルゴーニュポルトガルスコットランドジョージアヴェネツィア共和国Dutchy of BeneventoAD1268年ヴェネツィア
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1268年の版図を描いています(40勢力)。

概要

ヴェネツィアの元首ドージェは終身で、有力な家が取り合えば共和国が割れる。1268年に定まった選び方は、くじと投票を十回交互に重ねるものだった。大評議会からくじで三十人、それをくじで九人に減らし、九人が四十人を選び、またくじで減らす。これを繰り返して、最後の四十一人が元首を選ぶ。途中で何度もくじが入るので、どこかの家が前もって票を固めておくことができない。玉を引くのは、サン・マルコ広場で最初に出会った少年だった。この仕組みは、共和国が終わる1797年まで使われた。

場所

ヴェネツィア
45.44°N 12.32°E · イタリア・ヴェネト州

本文

ヴェネツィアの元首は、ドージェと呼ばれた。伝承では7世紀の終わり、確かな記録では8世紀から、1797年に共和国が滅びるまで、およそ千年にわたって120人ほどのドージェが立った。ドージェの任期は終身だった。

終身の地位は、危うい。一つの家が続けてその座を取れば、元首は事実上の王になり、共和国は世襲の君主国に変わってしまう。有力な家どうしが取り合えば、町が割れて血が流れる。実際、初期のドージェの中には、反対派に殺された者、目を潰されて追われた者、息子を共同の元首に据えて世襲を図った者がいた。ヴェネツィア共和国は、ドージェをどう選ぶかに、何百年もかけて工夫を重ねていった。

最後のヴェネツィア総督ロドヴィコ・マニンの肖像
最後のヴェネツィア総督ロドヴィコ・マニンの肖像Wikimedia Commons Bernardino Castelli · Public domain

12世紀までに、ドージェを選ぶ力は民衆の集会から、有力な市民でつくる評議会の手に移っていた。1172年には、選ぶ人を選ぶ委員会が置かれた。そして1268年、ロレンツォ・ティエポロが選ばれたときに、一つの手順が定まった。くじ引きと投票を、何度も交互に重ねるものである。

手順はこうだった。まず、大評議会の議員の中から、くじで30人を選ぶ。その30人を、くじで9人に減らす。9人は投票で40人を選ぶ。40人を、くじで12人に減らす。12人が25人を選ぶ。25人を、くじで9人に減らす。9人が45人を選ぶ。45人を、くじで11人に減らす。11人が41人を選ぶ。そして最後に、この41人がドージェを選ぶ。当選には25票以上が要った。各段階では、一つの家から入れるのは一人までとされ、選ぶ側に入った者の親族は外された。

16世紀のヴェネツィア総督の大行列
16世紀のヴェネツィア総督の大行列Wikimedia Commons Public domain

なぜ、ここまで回りくどいのか。票を前もって固めさせないためである。投票だけで選ぶなら、大きな家が仲間を集め、あらかじめ票をまとめておける。くじだけで選ぶなら、元首にまったく向かない者が選ばれかねない。この二つを交互に重ねると、誰が次の段階に残るかが、そのたびにくじで散らされる。前もって誰に声をかけ、誰を買収すればよいかが分からない。それでも、各段階で選ぶのは投票なので、ふさわしくない者は落とすことができる。偶然で派閥の計算を崩し、投票で質を保つ仕組みだった。

21世紀に入って、コンピュータの研究者たちがこの手順を計算してみたことがある。その結果、この仕組みは、少数の派閥が自分たちの候補を通す見込みを小さくし、多くの議員から広く支持される者が選ばれやすくする性質を持つ、と論じられた。13世紀のヴェネツィアの人々が、そこまで計算していたわけではないだろう。だが、長年の争いの経験から、彼らは派閥の力を薄める方法を手探りで見つけていた。

16世紀のピアツェッタの様子(チェーザレ・ヴェチェッリオによる)
16世紀のピアツェッタの様子(チェーザレ・ヴェチェッリオによる)Wikimedia Commons Huyot and Racinet, after Cesare Vecellio · Public domain

くじの玉を誰に引かせるかにも、気が配られた。議員が自分で引けば、細工が疑われる。そこで、選挙の日には、いちばん若い議員がサン・マルコ寺院で祈りを捧げ、外に出て最初に出会った少年を連れてきた。その少年が、箱から玉を引く。少年は「バロッティーノ」、つまり小さな玉を扱う子と呼ばれ、のちに新しいドージェの側に仕えたとも言われる。玉を意味するイタリア語は、英語で投票や投票用紙を意味する言葉の語源になったとされる。

ヴェネツィアの人々は、選び方だけでドージェを抑えたのではなかった。新しく選ばれたドージェは、就任のときに、自分の権限の限りを定めた誓約に署名しなければならなかった。この誓約は、ドージェが代わるたびに書き足され、元首にできることは次第に狭められていった。外国の使節と勝手に会ってはならない。家族を役職に就けてはならない。贈り物を受け取ってはならない。ドージェは栄誉ある地位だったが、実際の権力は、大評議会や元老院、そして14世紀に作られた十人委員会などの評議会の側へ移っていった。

昇天祭の日、ドゥカーレ宮殿の桟橋に戻るブチンタウロ船(カナレット画、1730年)
昇天祭の日、ドゥカーレ宮殿の桟橋に戻るブチンタウロ船(カナレット画、1730年)Wikimedia Commons Giovanni Antonio Canal · Public domain

この手順は、細かな手直しを重ねながら、500年あまり使われ続けた。その間、ドージェが王になることは一度も無かった。1797年、イタリアに攻め込んだナポレオン・ボナパルトの軍の圧力を受けて、大評議会は自ら共和国の解散を決めた。最後のドージェ、ルドヴィーコ・マニンは、元首の帽子を脱いで従者に渡したと伝えられる。千年の共和国は、こうして終わった。

くじで役職を選ぶ仕組みは、古代のアテナイにもあった。アテナイの市民たちは、石の板に札を差し込んで陪審員や役人を選ぶ道具(抽選器)を使った。そのくじは、誰にでも順番を回すためのものだった。ヴェネツィアのくじは、誰にも順番を独占させないためのものである。同じくじという道具が、平等のためにも、権力の分散のためにも使われた。偶然に頼ることが、かえって公正さを守る。その考えは、いま市民の中からくじで人を選んで政策を話し合わせる試みとして、各地で見直されている。

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