概要
1942年2月19日の朝、オーストラリア北部の港町ダーウィンを、日本の空母四隻から飛び立った機と、陸上の基地の爆撃機が襲った。真珠湾を攻めたのと同じ機動部隊である。港の船が次々に沈み、二百数十人が死んだ。オーストラリアの本土が外国から攻撃を受けたのは、これが初めてだった。北部への空襲は1943年の終わりまで百回近く続く。政府は被害を小さく発表し、国民が全容を知ったのは戦後になってからである。
場所
ダーウィン
-12.46°N 130.85°E · オーストラリア・北部準州
-12.46°N 130.85°E · オーストラリア・北部準州
本文
1942年2月、シンガポールが落ち、日本軍はオランダ領東インドへ攻め込もうとしていた。オーストラリア北部の港町ダーウィンは、連合軍がティモールやジャワへ兵と物資を送る基地だった。そこを先に叩いておくことが、この空襲の狙いである。
2月19日の朝、ティモール海に入った四隻の空母から、188機が飛び立った。二か月前に真珠湾攻撃を行った部隊である。昼前には、陸上の基地から飛んだ54機の爆撃機が続いた。港には四十隻を超える船がいて、弾薬を積んだ船が爆発し、埠頭で働いていた人々が死んだ。飛行場の機もほとんどが地上で壊された。
死者は二百数十人。数ではハワイに及ばないが、落とされた爆弾は真珠湾より多かったとされる。町の人々は南へ逃げ、略奪も起きた。政府は士気が崩れることを恐れ、はじめ死者を17人と発表した。
日本軍がオーストラリアに上陸する計画は、実際には陸軍が反対して取りやめになっていた。それでも国民は、本土に攻め込まれるという恐れを抱いた。オーストラリアがイギリスではなくアメリカを頼りにするようになったのは、この年からである。