← 地図で見る
Event / できごと

イェニチェリの廃止

Auspicious Incident
AD1826年6月15日
重要度 5

概要

イェニチェリは14世紀にキリスト教徒の少年を徴集して作った常備歩兵で、19世紀には結婚し、商売をし、改革に反対して、スルタンを何人も殺していた。マフムト2世は新軍を作って、イェニチェリが反乱すると、砲で兵舎を撃った。6000人。「吉祥事件」。450年の軍団が1日で消えた。それから、タンジマート。

場所

コンスタンティノープル
41.01°N 28.98°E · トルコ・イスタンブール

関わった人(1)

マフムト2世AD1785年7月20日–AD1839年7月1日 · 撃った

本文

イェニチェリ(「新しい兵」)は14世紀の終わりに作られた。デヴシルメ。バルカンのキリスト教徒の村から、8〜18歳の少年を徴集し、改宗させ、トルコ語を教え、兵にする。給料をもらう常備歩兵。鉄砲。結婚しない。家族がなく、スルタンだけに忠実。コンスタンティノープル、モハーチ、ウィーン。

17世紀から変わった。結婚を許され、息子が入隊し、デヴシルメが止まり(1700年頃)、商売をした。イスタンブールの職人と商人がイェニチェリの名簿に入って(給料と特権のため)、名簿には13万人、実際に戦えるのは数千。戦争で負け続けた。改革に反対した。1622年、オスマン2世を殺した。1730年、アフメト3世を廃した。1807年、セリム3世の「新秩序(ニザーム・ジェディード)」の軍を潰し、セリムを廃し、1808年、殺した。

マフムト2世は1808年、23歳で即位した。18年待った。改革は口にせず、ウラマー(法学者)を味方にし、イェニチェリの中に自分の人間を入れ、大砲部隊(トプチュ)を確保した。1826年5月、「エシュキンジ」(イェニチェリの中に、ヨーロッパ式の訓練を受ける部隊を作る)。イェニチェリは初め受け入れた。

6月14日、訓練が始まった。6月15日の朝、イェニチェリがエト・メイダヌ(肉市場広場)の兵営で大釜を倒した。反乱の合図。宮殿へ向かった。マフムトは預言者の旗を出させ、ウラマーが「反乱者を殺せ」と宣言し、イスタンブールの市民に武器を配った。大砲部隊が兵営を囲んで、撃った。兵営が燃えた。数千人が中で死んだ。逃げた者は市内で狩られた。6000人(1万人とも)。首がスルタンの前に積まれた。

6月17日、イェニチェリの廃止を布告した。名前を口にすることも禁じた。イェニチェリと結びついたベクタシ教団も禁じた。「ヴァカイ・ハイリイェ(吉祥の出来事)」。

新しい軍。「ムハンマドの勝利の軍(アサキル・イ・マンスレ・イ・ムハンマディイェ)」。プロイセンの将校(若いモルトケが1835〜39年にいた)。フェズ。1827年、ギリシアでナヴァリノで艦隊を失い、1828〜29年、ロシアに負け、1831〜33年と1839年、エジプトのムハンマド・アリー(自分の臣下)に負けた。軍は弱いままだった。しかし、スルタンを殺す軍はいなくなった。改革ができるようになった。

同じ時代のできごと

テカムセの部族連合1808年間宮林蔵の樺太探検AD1809年メキシコの独立1810年ラテンアメリカ諸国の独立1810年メリナ王国のマダガスカル統一1810年ハワイ王国の統一AD1810年ナポレオンのロシア遠征AD1812年6月24日ウィーン会議1814年