トマス・マルサス
概要
人口は倍々に増え、食料は足し算でしか増えない。だから貧困は避けられない、と書いた牧師。以後200年、繁栄を疑う側の拠り所になる。
関わったできごと(1)
『人口論』AD1798年 · 著者本文
トマス・ロバート・マルサスは1766年、ロンドンの南のサリー州で、裕福な地主の家に生まれた。父のダニエルは、哲学者のデイヴィッド・ヒュームやジャン=ジャック・ルソーと親交を結んだ教養人で、人間の理性と社会はどこまでも進歩していくという、18世紀の啓蒙思想の楽観を信じていた。息子のトマスは生まれつき口唇裂があり、話すのにやや不自由したが、家庭教師について学び、ケンブリッジ大学のジーザス・カレッジで数学を修めた。卒業後は英国国教会の聖職につき、田舎の教区で副牧師を務めた。
1790年代、フランス革命の熱気の中で、イギリスでもウィリアム・ゴドウィンや、フランスのコンドルセが、人類は財産の不平等をなくし、やがて病も貧困も克服するだろうと説いた。父ダニエルはその考えに共鳴していた。父と議論を重ねるうちに、トマスは、その楽観には見落としがあると考えるようになった。そこで反論を書き、1798年、『人口論』として匿名で出版した(『人口論』)。正式な題は、人口の原理が将来の社会の改良に及ぼす影響についての試論、という長いものである。

論の骨組みは単純だった。食料は人間の生存に必要である。男女の間の情欲は無くならない。人口は、何も妨げがなければ、25年ごとに倍になるという具合に、1、2、4、8と掛け算で増えていく。ところが食料は、どれほど努力しても、1、2、3、4と足し算でしか増やせない。だから人口は必ず食料の限界にぶつかり、飢えや病気、戦争、貧困によって押し戻される。理想の平等社会を作っても、暮らしが楽になれば人口が増え、やがてまた貧困に戻る。マルサスは、北アメリカの植民地で人口が25年ほどで倍になっていることを、根拠の一つに挙げた。
本はすぐに評判を呼び、著者が誰かも知れ渡った。反響は大きく、とりわけ貧しい人々への救済をめぐる議論に影響を与えた。マルサスは、当時のイギリスの救貧法(エリザベス救貧法)が、貧しい人に子を持つ余裕を与えて人口を増やし、かえって食料の値を上げて貧困を広げていると批判した。この主張は、貧困は避けられない、救っても無駄だ、という冷たい考えとして受け取られ、マルサスの名は、急進派や後の社会主義者から激しく攻撃された。マルクスは彼を剽窃者と罵り、詩人たちは彼をあざけった。

しかしマルサス本人は、論を磨き続けた。ヨーロッパ大陸を旅して北欧やロシアの人口と暮らしを調べ、1803年には内容を大幅に書き改めた第2版を出した。そこでは、人口を抑えるものとして、飢えや病だけでなく、結婚を遅らせ、結婚するまで身を慎むという「道徳的抑制」を加えた。人々がそれを選べば、貧困から抜け出す道はある、という考えである。避妊は道徳に反するとして認めなかった。『人口論』は生前に6版を重ね、版ごとに統計と事例が増えて、最初の小冊子の何倍もの大著になった。
1804年、38歳で結婚し、3人の子をもうけた。翌1805年、東インド会社がインドへ送る役人を育てるために作った学校で、歴史と経済学の教授になった。イギリスで最初の経済学の教授とされる。親友となった経済学者デイヴィッド・リカードとは、手紙で長い論争を続けた。リカードが自由貿易を説いて外国の穀物の輸入を制限する穀物法に反対したのに対し、マルサスは国内の農業を守るために穀物法を支持した(穀物法の廃止)。また、社会全体で物が売れ残る不況はありうるかをめぐっても、二人は意見を異にした。マルサスは、需要が足りなければ売れ残りは起こりうると論じた。100年後、経済学者ケインズはこの点でマルサスを高く評価している。二人は学問の上では生涯対立しながら、深い友情で結ばれていた。

1834年、マルサスは68歳で死んだ。同じ年、イギリスでは救貧法が改められ、働ける貧民への救済を厳しく制限する新しい制度が作られた。その考え方には、マルサスの議論の影響があったとされる。
マルサスの思想は、意外な場所で実を結んだ。1838年、若いチャールズ・ダーウィンは気晴らしに『人口論』を読み、生き物は生き残れる以上の数の子を生み、その中で生存の争いが起きる、という考えにたどり着いた。自然選択の着想である。のちにアルフレッド・ラッセル・ウォレスも、熱病に伏せっていた南の島で『人口論』を思い出し、同じ考えに至っている(『種の起源』)。

マルサスの予言は、少なくとも彼の生きた時代のイギリスについては外れた。産業革命と農業の改良で、食料と富は人口を上回る速さで増え、人々の暮らしは豊かになった。20世紀にはハーバー・ボッシュ法で作られる化学肥料と、緑の革命の新しい品種が、食料の限界を大きく押し広げた。豊かになった国々では、人々が自ら子の数を減らし、人口の伸びは止まった。それでも、資源と環境には限りがあり、人口や消費が増え続ければいつか壁にぶつかるのではないか、という問いが語られるたびに、マルサスの名が持ち出される。1845年のアイルランドのジャガイモ飢饉のような悲劇が起きるたびにも、彼の議論は思い起こされた。繁栄を疑う側の拠り所として、その名はいまも使われ続けている。