朴赫居世
概要
紫の卵から出た光る子。「赫居世」は世を明るくする。妃の閼英は井戸の鶏龍の脇から生まれ、唇が鶏の嘴だった。二人で国を巡って農業を勧めた。61年の治世。死んで7日後に体が五つに分かれて落ちたと『三国遺事』。五陵。
所属
新羅関わったできごと(1)
新羅の建国(伝承)BC57年(伝承) · 建国本文
朴赫居世は、朝鮮半島の南東部に興った新羅の始祖として伝えられる王である。その話は、12世紀に高麗の金富軾が編んだ歴史書『三国史記』と、13世紀に僧一然がまとめた『三国遺事』に記されている。どちらも新羅が滅んで200年以上たってから書かれたもので、そこに語られるのは歴史というより建国の神話である(新羅の建国(伝承))。
『三国史記』によれば、いまの慶州の盆地には、古くから六つの村があった。紀元前69年、村の長の一人が、楊山のふもとの蘿井という井戸のそばで、白い馬がひざまずいていなないているのを見た。近づくと馬は消え、そこに大きな卵があった。『三国遺事』は、それを紫色の卵と書いている。卵を割ると、中から男の子が出てきた。
『三国遺事』によれば、村人たちがその子を東の泉で洗うと、体から光が放たれ、鳥や獣が舞い踊り、天地が震え、太陽と月が明るく輝いた。そこで子は赫居世と名づけられた。世を明るく照らす、という意味である。古い新羅の言葉では弗矩内と呼ばれた、とも記されている。卵が瓢箪のように丸かったので、新羅の言葉で瓢箪を指す朴を姓にした、という説明も伝わる。
六つの村の人びとは、天から降りてきたこの子を大切に育てた。13歳になった紀元前57年、人びとは彼を王に立てた。王の称号は居西干といい、国の名は徐那伐と呼ばれた。新羅という国号が定まるのは、ずっと後の時代である。
王には、ふさわしい妃も天から与えられた。同じ頃、閼英という井戸のそばに鶏龍が現れ、その脇腹から女の子が生まれた。『三国遺事』によれば、女の子は美しかったが、唇が鶏のくちばしのようだった。北の川で洗うと、くちばしは落ちた。井戸の名をとって閼英と名づけられたこの子は、赫居世の妃になった。王と妃は国中を巡って、農業と養蚕を勧め、民は二人を二人の聖人と呼んで敬ったという。
赫居世は61年にわたって国を治め、紀元4年に世を去ったとされる。『三国遺事』は、その最期も不思議に語る。王は天に昇り、7日後、その体が五つに分かれて地上に落ちてきた。妃もまもなく亡くなった。人びとは王と妃を一緒に葬ろうとしたが、大きな蛇が現れて邪魔をした。そこで五つの体をそれぞれ別に葬った。これが五陵で、蛇陵とも呼ばれる。いまも慶州の市街の南に、五つの大きな塚が並んでいる。
赫居世の跡は、息子の南解が継いだ。その後の新羅の王位は、朴氏のほかに、昔氏と金氏の三つの家が受け継いでいったと伝えられる。昔氏の祖とされる脱解は、倭の東北千里にある多婆那という国で卵として生まれ、箱に入れられて海を流れて新羅に着いた、という話が残る。金氏の祖の閼智は、金の箱の中から見つかったという。光、卵、天から降りてくる子。北の高句麗の始祖朱蒙にも卵から生まれた話があり(高句麗の建国(伝承))、朝鮮半島の建国の神話にはよく似た形が繰り返し現れる。
『三国史記』は、新羅の建国を紀元前57年、高句麗を紀元前37年、百済を紀元前18年とし(百済の建国(伝承))、三国のうち新羅を最も古い国としている。しかし考古学や中国の史書からは、新羅が国として形を整えたのは4世紀ごろとみられており、新羅の建国の年が最も早いのは、三国を統一した新羅を中心に歴史をまとめたためだと考えられている。赫居世という人物が実在したかどうかは分からない。
それでも、この神話は新羅の人びとにとって大きな意味を持った。新羅は676年に朝鮮半島の大部分を統一し(新羅の朝鮮半島統一)、935年に高麗に降るまで続いた。伝承どおりに数えれば、992年続いた国である。慶州はそのあいだずっと都だった。始祖の生まれた蘿井では、2002年から行われた発掘で、八角形の大きな建物の跡が見つかった。統一新羅の頃に、始祖を祀るために建てられた施設とみられている。新羅の人びとは、自分たちの始まりの物語を、祭祀の場として形にしていたのである。
いま韓国には、朴の姓を名乗る人が400万人を超える。その多くは、赫居世を一族の始祖としている。慶州の五陵の近くには赫居世を祀る祠があり、毎年、子孫たちが集まって祭祀を行っている。話が本当かどうかを問う人は少ない。神話は、千年の都の始まりを語り、いまも人びとをつなぐ物語として生きている。