ヒッパルコスの歳差の発見
概要
150年前の観測と比べて、星の位置が全体にずれていることに気づいた。地球の自転軸が2万6千年で一周する。三角法と星表もこの人から。
場所
36.43°N 28.22°E · ギリシア
関わった人(1)
ヒッパルコスBC190年頃–BC120年頃 · 発見本文
ヒッパルコスは紀元前2世紀のギリシアの天文学者で、小アジアのニカイアに生まれ、エーゲ海の東のロドス島で観測を続けた。生涯のことはほとんど分かっていない。著作もほぼすべて失われ、まとまって残っているのは若いころの詩の注釈が一つだけである。それでも彼が天文学の歴史で最も重要な人物の一人とされるのは、300年ほど後のアレクサンドリアのクラウディオス・プトレマイオスが、主著『アルマゲスト』の中でヒッパルコスの観測と計算を繰り返し引用し、その成果を受け継いだからである。
ヒッパルコス以前のギリシアの天文学は、天の動きを美しい幾何学の模型で説明することに力を注いでいた。ヒッパルコスは、そこに精密な観測と数を持ち込んだ。彼はアレクサンドリアの天文学者たちが150年ほど前に残した観測記録や、さらに古いバビロニアの記録を集め、自分の観測と突き合わせた。

おとめ座の明るい星スピカについて、150年ほど前の天文学者ティモカリスは、秋分点からおよそ8度離れていると記録していた。ヒッパルコスが測ると、その隔たりは6度ほどだった。2度ずれている。ほかの星についても調べると、どの星も同じ向きに、同じくらいずれていた。星どうしの位置関係は変わっていない。とすれば、星が動いたのではなく、星の位置を測る基準である春分点や秋分点のほうが、星々に対して少しずつ動いているのだ、とヒッパルコスは考えた。春分点は、太陽の通り道(黄道)に沿って、年ごとにわずかずつ西へずれていく。この現象を「歳差」と呼ぶ。
ヒッパルコスは、そのずれを少なくとも100年に1度ほどと見積もった。実際の値は、およそ72年に1度である。春分点が黄道を一周するには、約2万6千年かかる。彼はまた、季節が一巡する1年(太陽が春分点に戻るまで)と、太陽が同じ星の位置に戻るまでの1年とが、わずかに違うことにも気づいていた。暦を季節に合わせるには、前者を使わなければならない。

歳差がなぜ起きるのかは、ヒッパルコスには分からなかった。答えが出るのは1800年後である。17世紀、アイザック・ニュートンは、地球が自転のために赤道のあたりで少し膨らんでおり、その膨らみを太陽と月の引力が引っ張るので、地球の自転軸が、傾いた独楽の軸のようにゆっくりと首を振るのだと説明した。軸の向きが変わるので、天の北極の位置も移っていく。いまは北極星がほぼ真北にあるが、古代エジプトのピラミッドの時代には、りゅう座の別の星が北の目印だった。1万2千年ほど後には、こと座のベガが北極星の役を担う。また、星占いの十二宮は、2000年前に決められた春分点を起点にしているため、いまでは実際の星座と1つ分ほどずれている。
ヒッパルコスはほかにも多くの仕事を残した。ローマの博物学者プリニウスによれば、彼はある年に新しい星が現れたのを見て、星が生まれたり消えたりするのかを後の世の人が確かめられるよう、星の位置を一覧にしようと思い立った。こうして作られた星表には、850ほどの星の位置が記されていたと考えられている。星の明るさを6段階の「等級」に分ける方法も、彼に始まるとされることが多いが、確かな証拠はプトレマイオスの星表に残る形でしか無い。この星表は失われていたが、2022年、シナイ半島の修道院に伝わった古い写本の、消されて上書きされた下の文字から、その一部とみられる記述が読み取られて話題になった。

数学では、円の中心角に対する弦の長さを一覧にした表を作り、角度から長さを計算できるようにした。これがのちの三角法の始まりとされる。月食の観測を使って地球から月までの距離を求め、地球の半径の60倍前後という、実際にかなり近い値を出している。地球の大きさを測ったエラトステネスの仕事と並んで、天を数で測るという考え方を大きく前へ進めた。
ヒッパルコスの名は、いまも天文学のなかに残っている。1989年に打ち上げられた欧州宇宙機関の衛星は、星の位置を精密に測る役目を負って「ヒッパルコス」と名づけられ、10万個を超える星の位置と明るさを記録した。2000年あまり前に一人で星の一覧を作った人の名を、宇宙から星を数える装置が受け継いだのである。