『ドン・キホーテ』

概要
騎士道物語を読みすぎて現実と区別がつかなくなった男の話。最初の近代小説と呼ばれる。
場所
40.42°N -3.70°E · スペイン
関わった人(1)
ミゲル・デ・セルバンテスAD1547年–AD1616年4月22日 · 作者本文
16世紀のスペインでは、騎士道物語が大流行していた。遍歴の騎士が巨人や魔法使いと戦い、姫君を救い、王国を手に入れる。印刷術の普及で安く出回り、字の読めない者も、読める者が朗読するのを宿屋で聞いて楽しんだ。荒唐無稽な筋書きを、教会や知識人は眉をひそめて見ていた。
『ドン・キホーテ』の前編は1605年のはじめ、マドリードで出版された。作者のミゲル・デ・セルバンテスは57歳だった。主人公は、ラ・マンチャ地方の村に住む、50歳近い郷士である。騎士道物語を読みふけるあまり、畑を売って本を買い集め、眠りもせずに読み続けて頭がおかしくなり、自分こそ遍歴の騎士だと思い込む。曾祖父の古い鎧を引っ張り出し、やせ馬にロシナンテと名づけ、自らをドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと名乗って旅に出る。思い姫には、近所の村の農家の娘を選び、ドゥルシネーアと名づけた。

二度目の旅には、近所の農夫サンチョ・パンサを従者として連れて行く。手柄を立てたら島の領主にしてやる、という約束である。野原に立つ30か40の風車を見て、ドン・キホーテは巨人だと言い張り、サンチョが止めるのも聞かずに槍を構えて突撃し、羽根に跳ね飛ばされる。宿屋は城に、羊の群れは軍勢に、床屋の金だらいは名高い兜に見える。理想に燃えて突き進む痩せた主人と、腹が減っては戦ができない太った従者の掛け合いが、物語を前へ運んでいく。
作者の生涯もまた、騎士道物語に負けない波乱に満ちていた。セルバンテスは若くしてイタリアに渡って兵士となり、1571年のレパントの海戦で胸と左手に銃弾を受け、左手が生涯動かなくなった。帰国の途中でアルジェの海賊に捕らえられ、5年間を捕虜として過ごし、4度脱走を企ててすべて失敗した。身代金で解放されたあとは、無敵艦隊のための食糧の徴発係や徴税の仕事に就いたが、帳簿の不足を問われて投獄されたこともある。前編の序文で、この物語は牢獄で生まれた、と書いている。

前編は売れた。出版された年のうちに版を重ね、海外でも読まれ、英語やフランス語にも訳された。ただし作者が版権を安く売っていたため、セルバンテスが豊かになることはなかった。1614年、アベリャネーダと名乗る正体不明の人物が、勝手に続編を出版した。序文でセルバンテスを年寄りだの片手だのと嘲る、悪意のこもった本だった。
翌1615年、セルバンテスは自らの後編を出した。後編の登場人物たちは、ドン・キホーテとサンチョの冒険を記した前編をすでに読んでおり、二人は行く先々で「本で読んだ有名人」として迎えられる。ある公爵夫妻は二人を城に招き、本に書かれた狂気を楽しむために手の込んだいたずらを仕掛け、サンチョを本当に島の領主にしてみせる。さらに後編では、偽の続編の登場人物まで現れ、ドン・キホーテが偽物と本物の違いを確かめる場面がある。物語の中の人物が、自分についての本を読み、偽の本を否定する。この入れ子の仕掛けが、のちの小説家たちを驚かせた。

最後の場面で、ドン・キホーテは村に帰って病に倒れ、正気に戻る。自分は善人アロンソ・キハーノであり、騎士道物語は愚かなものだったと言って、遺言を残して死ぬ。サンチョは泣きながら、死なないでください、また旅に出ましょうと頼む。物語を通して主人をからかい、笑ってきた読者は、ここで笑えなくなる。
セルバンテスは後編の出版の翌年、1616年4月に68歳でマドリードで没した。イングランドのウィリアム・シェイクスピアが死んだのと同じ月の日付になるが、当時スペインとイングランドでは使っている暦が違ったため、実際には10日ほどずれている。
『ドン・キホーテ』は、騎士道物語をからかう滑稽な話として書きはじめられた。だが、理想と現実、狂気と正気、物語と人生の境目を問い続けるうちに、それよりはるかに大きな作品になった。登場人物が場面ごとに変わり、互いに語り合いながら成長し、作者と語り手と読者の関係までが物語の材料になる。このため、ヨーロッパで最初の近代小説と呼ばれる。ドストエフスキーやフローベールをはじめ、後の作家たちの多くがこの本を手本と仰いだ。無謀な理想に向かって突き進む人を、いまも「ドン・キホーテ的」と呼ぶ。