モンテヴェルディ『オルフェオ』
概要
マントヴァのゴンザーガ公の宮廷。謝肉祭の余興として上演された。フィレンツェの人文主義者たちが「古代ギリシアの悲劇は全部歌われていたはずだ」と考え、語るように歌う様式(レチタティーヴォ)を作った。その実験を、モンテヴェルディが音楽として立たせた。40近い楽器を指定し、どの場面でどれを鳴らすか書いた(最初期の管弦楽法)。オペラという形式が、ここから400年続く。
場所
45.16°N 10.79°E · イタリア
関わった人(1)
クラウディオ・モンテヴェルディAD1567年5月15日–AD1643年11月29日 · 作曲した本文
16世紀の終わり、フィレンツェのバルディ伯爵の屋敷に、貴族や学者、音楽家たちが集まって語り合っていた。のちにカメラータ(仲間)と呼ばれる集まりである。メンバーの一人に、リュート奏者で音楽理論家のヴィンチェンツォ・ガリレイがいた。天文学者ガリレオの父である。
彼らが論じたのは、古代ギリシアの悲劇はどのように上演されていたのか、という問いだった。古代の文献を読むと、悲劇はどうやら始めから終わりまで歌われていたらしい。そして古代の音楽は、聞く人の心を怒りにも涙にも動かしたと書かれている。それに比べて、いまの音楽はどうか。当時の音楽の中心は、いくつもの声部がそれぞれ別の旋律を歌い、複雑に絡み合う多声の音楽だった。美しいが、言葉は聞き取りにくい。これでは劇の台詞は伝わらず、心を動かすこともできない。

そこで彼らは、一つの声が、話すときの言葉の抑揚と速さにそって旋律を歌い、その下を楽器の簡素な和音が支える、という歌い方を考え出した。語るように歌う、レチタール・カンタンドと呼ばれる様式である。この様式で全編を歌う劇として、1598年にヤコポ・ペーリの『ダフネ』が作られ(音楽はほとんど失われた)、1600年には、フランス王アンリ4世とマリー・ド・メディシスの婚礼の祝いに、ペーリの『エウリディーチェ』が上演された。どちらも、竪琴の名手オルフェウスや神話の人物を題材にした牧歌劇だった。新しい試みとしては画期的だったが、言葉を伝えることを優先するあまり、音楽としてはやや単調だった。
この実験を、音楽の力で劇を支える作品へと押し上げたのが、マントヴァの宮廷楽長クラウディオ・モンテヴェルディである。1567年にクレモナで生まれた彼は、すでに多声の歌曲マドリガーレの作曲家として名を知られていた。マントヴァを治めるゴンザーガ家の王子フランチェスコは、フィレンツェの上演を見て、自分の宮廷でも同じような音楽劇を作らせたいと考えた。台本を書いたのは宮廷の書記官アレッサンドロ・ストリッジョである。

1607年2月24日、謝肉祭の季節に、マントヴァの公爵宮殿の一室で、『オルフェオ』が初めて上演された。観客は、王子が属していた貴族と知識人の集まりの会員たちで、広い劇場ではなく、宮殿の中の限られた空間での上演だった。物語はギリシア神話に基づく。歌で獣も木々も動かす楽人オルフェオが、妻エウリディーチェを蛇の毒で失い、冥界へ下る。歌の力で渡し守カロンテを眠らせ、冥界の王を動かして、妻を連れ帰る許しを得る。ただし地上に出るまで、決して振り返ってはならない。だが、不安に負けたオルフェオは振り返り、妻は再び闇へ消えてしまう。
モンテヴェルディの『オルフェオ』が新しかったのは、まず、さまざまな音楽を組み合わせたことである。語るように歌う部分だけでなく、節のはっきりした歌、いくつもの声の重唱や合唱、楽器だけで奏でる間奏が、場面に応じて使い分けられ、音楽に緩急と色彩が生まれた。幕開けには、ゴンザーガ家の儀式の音楽を思わせる華やかなトランペットのファンファーレが三度鳴り響く。

次に、楽器の使い方である。1609年にヴェネツィアで出版された楽譜には、チェンバロ、オルガン、ハープ、リュートの仲間、ヴァイオリンやヴィオールの仲間、リコーダー、コルネット、トロンボーン、トランペットなど、40近い楽器が並んでいる。そして、場面ごとにどの楽器を鳴らすかが細かく指示されている。羊飼いたちの明るい場面には弦楽器とリコーダー、冥界の場面には、うなるような音のリードオルガンとトロンボーン。楽器の音色で場面の空気を描き分けるこの方法は、のちの管弦楽法の先駆けとされる。
第3幕で、オルフェオが渡し守を説き伏せるために歌う長い歌は、作品の聴きどころである。モンテヴェルディは楽譜に、飾りのない旋律と、技巧を尽くした装飾を施した旋律とを並べて書いた。当時、装飾は歌手が自由に付けるのが普通だったから、作曲家が自らそれを書き記したのは珍しいことだった。

その数年前、モンテヴェルディは保守的な理論家アルトゥージから、不協和音の扱いが規則に反していると攻撃されていた。モンテヴェルディの側は、昔ながらの規則に従う書き方とは別に、言葉の感情を表すためには規則を破ってよい「第二の作法」がある、と答えた。言葉こそが和声の主人であって、召使いではない。この考えは、『オルフェオ』の音楽の底にも流れている。台本では、オルフェオは最後に酒神の女たちに追われるが、出版された楽譜では、父の神アポロンが天から降りてきて、息子を天へ連れて行く結末に変えられている。
翌年、モンテヴェルディは次の音楽劇『アリアンナ』を書いたが、楽譜は失われ、嘆きの歌だけが残る。やがて彼はヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長となり、晩年には、1637年にヴェネツィアで開かれた、入場料を払えば誰でも入れる初めての歌劇場のために作品を書いた。オペラは宮廷の余興から、町の人々の娯楽へと変わっていく。

『オルフェオ』自体は、初演のあと数回上演されて忘れられ、ほぼ300年間、演奏されなかった。20世紀の初めに楽譜が掘り起こされて上演が試みられ、いまでは、現在まで残る最初の本格的なオペラとして、世界の劇場で演じられている。言葉と音楽と劇を一つにしようとしたこの試みは、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルやヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを経て、ヴェルディやワーグナーへと続く400年のオペラの歴史の出発点になった。日本でも大正時代には浅草の劇場でオペラが大衆の人気を集めている(浅草オペラ)。