概要
フィンランドは六百年ほどスウェーデンの一部で、1809年からはロシア皇帝を大公とする大公国だった。自前の議会と通貨を持ったが、19世紀の末からロシア化の圧力が強まる。1917年、ロシアで革命が起きて帝国が崩れると、12月6日、フィンランドの議会は独立の宣言を承認した。年末にはレーニンの政府も独立を認める。だが翌1918年1月、国は社会主義の赤衛隊と、マンネルヘイムが率いる白衛隊に割れて内戦になり、ドイツの支援を受けた白衛隊が5月に勝った。三か月半の内戦と、その後の収容所で、三万数千人が死んだ。
場所
60.17°N 24.94°E · フィンランド
本文
中世から、フィンランドはスウェーデン王国の東の半分だった。役人と学者の言葉はスウェーデン語で、農民はフィンランド語を話した。1809年、ナポレオン戦争のなかでロシアがこの地を奪い、ロシア皇帝を大公とするフィンランド大公国とした。皇帝は、フィンランドが自前の議会と法と役人を持つことを認め、のちに通貨のマルカも作られた。
19世紀、フィンランドの人々は、自分たちの言葉と歴史に目を向けた。民間に伝わる歌を集めた叙事詩『カレワラ』がまとめられ、フィンランド語は役所でも使われるようになる。ところが19世紀の末、ロシアは帝国をまとめるためにロシア化を進め、フィンランドの軍を解き、法を帝国の法に従わせようとした。抵抗は強く、1904年にはロシアの総督が暗殺された。1906年には、ヨーロッパで初めて、女性が選挙権と被選挙権を同時に得ている。
1917年、ロシア革命で皇帝が退くと、フィンランドを縛っていたものは消えた。12月6日、議会は、スヴィンフヴューが率いる政府の出した独立の宣言を承認する。大晦日、レーニンの政府はこれを認めた。民族の自決を唱えていたボリシェヴィキは、フィンランドの革命派が政権を取ることを期待していた。
実際、1918年1月、労働者の赤衛隊がヘルシンキを押さえ、内戦が始まった。旧ロシア軍の将校だったマンネルヘイムが北で白衛隊をまとめ、ドイツ軍の上陸にも助けられて、5月に勝利する。戦いのあと、敗れた赤衛隊の兵は収容所に入れられ、処刑と飢えと病で多くが死んだ。三か月半の内戦の死者は三万数千人にのぼり、国の傷は長く癒えなかった。