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Event / できごと

フィンランドの独立

Finnish Declaration of Independence
AD1917年12月6日
重要度 3
大英帝国ロシア帝国デンマークイギリス領インド帝国オスマン帝国アルジェリアドイツ帝国ポルトガル帝国ペルシアオーストリア=ハンガリー帝国スウェーデンノルウェーアフガニスタンフィンランドフランススペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国モロッコKingfom of ItalyルーマニアアイスランドブルガリアチュニジアセルビアギリシャアゼルバイジャンジョージアAD1917年12月6日ヘルシンキ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1917年12月6日の版図を描いています(27勢力)。

概要

フィンランドは六百年ほどスウェーデンの一部で、1809年からはロシア皇帝を大公とする大公国だった。自前の議会と通貨を持ったが、19世紀の末からロシア化の圧力が強まる。1917年、ロシアで革命が起きて帝国が崩れると、12月6日、フィンランドの議会は独立の宣言を承認した。年末にはレーニンの政府も独立を認める。だが翌1918年1月、国は社会主義の赤衛隊と、マンネルヘイムが率いる白衛隊に割れて内戦になり、ドイツの支援を受けた白衛隊が5月に勝った。三か月半の内戦と、その後の収容所で、三万数千人が死んだ。

場所

ヘルシンキ
60.17°N 24.94°E · フィンランド

本文

中世から、フィンランドはスウェーデン王国の東の半分だった。役人と学者の言葉はスウェーデン語で、農民はフィンランド語を話した。1809年、ナポレオン戦争のなかでロシアがこの地を奪い、ロシア皇帝を大公とするフィンランド大公国とした。皇帝は、フィンランドが自前の議会と法と役人を持つことを認め、のちに通貨のマルカも作られた。

19世紀、フィンランドの人々は、自分たちの言葉と歴史に目を向けた。民間に伝わる歌を集めた叙事詩『カレワラ』がまとめられ、フィンランド語は役所でも使われるようになる。ところが19世紀の末、ロシアは帝国をまとめるためにロシア化を進め、フィンランドの軍を解き、法を帝国の法に従わせようとした。抵抗は強く、1904年にはロシアの総督が暗殺された。1906年には、ヨーロッパで初めて、女性が選挙権と被選挙権を同時に得ている。

1917年、ロシア革命で皇帝が退くと、フィンランドを縛っていたものは消えた。12月6日、議会は、スヴィンフヴューが率いる政府の出した独立の宣言を承認する。大晦日、レーニンの政府はこれを認めた。民族の自決を唱えていたボリシェヴィキは、フィンランドの革命派が政権を取ることを期待していた。

実際、1918年1月、労働者の赤衛隊がヘルシンキを押さえ、内戦が始まった。旧ロシア軍の将校だったマンネルヘイムが北で白衛隊をまとめ、ドイツ軍の上陸にも助けられて、5月に勝利する。戦いのあと、敗れた赤衛隊の兵は収容所に入れられ、処刑と飢えと病で多くが死んだ。三か月半の内戦の死者は三万数千人にのぼり、国の傷は長く癒えなかった。

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