概要
1886年、アメリカ南部のアトランタで、薬剤師のジョン・ペンバートンは、コカの葉とコーラの実のエキスを混ぜたシロップを作り、薬局の売り場で炭酸水に割って売り出した。はじめは頭痛や疲れに効く飲み物とうたわれている。町では酒を禁じる動きが強まっていて、酒に代わる飲み物でもあった。権利を買い取ったエイサ・キャンドラーは、広告と瓶詰めの工場の仕組みで全国に広げる。コカインを含む葉は、20世紀の初めに成分を抜いたものに替えられた。第二次世界大戦では、兵士のいる場所へ一本5セントで届けると約束し、アメリカの生活の象徴として世界に広まった。
場所
33.75°N -84.39°E · アメリカ・ジョージア州
本文
19世紀のアメリカでは、薬局の売り場に炭酸水を出すカウンターがあり、薬草や香料のシロップを炭酸水で割って売っていた。炭酸水そのものが体に良いと信じられていたのである。南北戦争で傷を負い、モルヒネに頼るようになっていた薬剤師のジョン・ペンバートンは、その代わりになる薬を探していた。
ペンバートンがはじめに作ったのは、南米のコカの葉とワインを合わせた飲み物だった。ところが1886年、アトランタの町で酒の販売が禁じられる。彼は酒を抜き、コカの葉と、アフリカ原産のコーラの実のエキスに砂糖を加えたシロップを作った。5月、町の薬局でこれを炭酸水に割って売り出す。名前と、いまも使われる筆記体の文字は、帳簿係のフランク・ロビンソンが考えた。最初の年には、一日に数杯しか売れなかったという。
ペンバートンは2年後に亡くなり、権利は実業家のエイサ・キャンドラーの手に渡った。キャンドラーは、無料で一杯飲める券を配り、看板や時計や暦に名前を入れて町じゅうに広告を出した。1899年には、各地の瓶詰め業者にシロップを売り、その土地で瓶に詰めて売らせる仕組みができる。コカの葉に含まれるコカインは、20世紀の初めまでに取り除かれた。
1941年、アメリカが戦争に加わると、社長のロバート・ウッドラフは、軍服を着た兵士がどこにいても一本5セントでコカ・コーラを飲めるようにすると宣言した。戦地の近くに瓶詰めの工場が建てられ、戦後はそれがそのまま世界への足がかりになる。コカ・コーラは、アメリカの暮らしと価値観を世界に運ぶものの象徴になり、戦後のフランスなどでは、アメリカの文化の押しつけとして「コカ・コロニゼーション」と批判されもした。