誕生日で決まる徴兵
概要
ベトナム戦争のさなか、誰を戦場へ送るかは、地域の徴兵委員会の判断に委ねられていた。大学に行ける者は猶予を受け、行けない者が送られる。不公平だという声に押されて、政府はくじに切り替えた。1969年12月1日の夜、三百六十六の誕生日を入れたカプセルが一つずつ引かれ、その様子はテレビとラジオで流された。一番目は9月14日だった。若い男たちは、自分の誕生日が何番目に出るかを見守った。のちに統計学者が、カプセルがよく混ざっておらず、年末の日付ほど早い番号が出ていたことを示した。公平に見えるくじも、混ぜ方までは見えなかった。
場所
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国
本文
1960年代の後半、アメリカはベトナム戦争に深く入り込んでいた。南ベトナムに送られた兵は増え続け、1969年の初めにはおよそ54万人に達した。その多くは、志願兵ではなく徴兵で集められた若者だった。18歳になった男は選抜徴兵局に登録する義務があり、全国に4000ほどあった地域の徴兵委員会が、登録者の中から誰を呼ぶかを決めていた。
委員会には大きな裁量があった。大学で学んでいる者は、卒業まで徴兵を猶予された。結婚して子のいる者や、国にとって大事だとされる仕事に就いている者も猶予された。医師の診断書を手に入れられる者は、体の理由で不適格とされることもあった。委員会の顔ぶれは地元の年配の白人男性が多く、誰を呼び誰を外すかは、委員会ごとにまちまちだった。
結果として、大学に行ける家の息子は戦場へ行かず、行けない家の息子が行くことになった。前線の歩兵には、労働者の家や貧しい家の若者、黒人の若者が多いと批判された。1967年にはボクシングの世界王者モハメド・アリが信仰を理由に入隊を拒み、王座を奪われた(モハメド・アリの徴兵拒否)。1968年のテト攻勢の後、戦争への疑いは国じゅうに広がり、徴兵の不公平は反戦運動の大きな標的になった。人が選ぶから不公平になる。それなら、人が選ばなければよい。

1969年11月、議会が法を改め、リチャード・ニクソン大統領は誕生日によるくじで徴兵の順番を決めることを命じた。12月1日の夜、ワシントンの選抜徴兵局の一室で、最初のくじが行われた。その様子はテレビとラジオで全国に中継された。対象は1944年から1950年までに生まれた男たちである。
やり方はこうだった。一年の366の日付、閏年の2月29日まで含めた日付を一枚ずつ紙に書き、小さな青いプラスチックのカプセルに入れる。カプセルを大きなガラスの容器に移し、一つずつ取り出して、引かれた順に1番から番号を付けていく。番号の若い誕生日の者から順に呼ばれ、番号が大きければ呼ばれずに済む見込みが高い。最初のカプセルは、下院議員の一人が引いた。読み上げられた日付は、9月14日だった。

その夜、大学の寮で、家の居間で、酒場で、若い男たちがテレビやラジオの前に集まった。自分の誕生日が読み上げられた瞬間に、行き先がほぼ決まる。若い番号が出て頭を抱える者、最後まで読まれずに歓声を上げる者がいた。翌年、実際に召集されたのは、番号195までの誕生日の者だった。
くじが終わると、まもなく、おかしいという声が出た。年の後半、とくに12月の誕生日ほど若い番号が出ている。統計学者たちが調べると、偏りははっきりしていた。月ごとの平均の番号を比べると、1月生まれは真ん中より大きく、12月生まれはずっと小さかった。偶然ではまず起こりえない偏りである。

原因は、混ぜ方にあった。カプセルは月ごとに箱に入れられ、1月の箱から順にガラスの容器へ移された。12月の分は最後に入れられ、容器のいちばん上に載った。容器は十分にかき混ぜられず、引く人の手は上にあるものから先に取った。結果として、遅い月の誕生日が先に引かれやすくなった。くじの中継は誰の目にも公正に見えたが、混ぜ方は画面に映っていなかった。
翌1970年の2回目のくじでは、やり方が改められた。日付を入れた容器と、番号を入れた容器を二つ用意し、それぞれの中身の並べ方をあらかじめ乱数で決めたうえで、日付と番号を一つずつ組み合わせて引いた。仕掛けを二重にして、片方の偏りが結果に響かないようにしたのである。

猶予の仕組みも少しずつ狭められた。1971年には、新たに大学生の猶予を受けることができなくなった。だがその頃には戦争そのものが縮小に向かっていた。1973年、アメリカは徴兵による召集をやめ、志願兵だけの軍に移った。18歳の男に登録を義務づける制度は、1975年にいったん止まったのち1980年に復活し、いまも続いている。
くじは公平に見える。誰も選んでいないから、誰も責められない。だが、くじが公平かどうかは、くじの作り方で決まる。2400年前のアテナイの人々は、抽選器の筒を皆の前に置き、玉が落ちるところを見せた(抽選器)。くじを信じさせるのは、くじそのものではなく、仕掛けを見せることだった。
もう一つ、くじでは解けないものがあった。くじに変えても、大学生の猶予や医師の診断書といった抜け道が残れば、不公平は残る。くじは、くじにかける人の範囲を誰が決めるかまでは、公平にしてくれない。1969年の夜に誕生日を読み上げられた若者たちは、そのことも身をもって知ることになった。