概要
アニメーション映画で名を上げたウォルト・ディズニーは、親と子が一緒に楽しめる清潔な遊園地を作りたいと考え、ロサンゼルスの郊外アナハイムのオレンジ畑に、映画のセットのように作り込んだ世界を建てた。1955年7月17日の開園の日はテレビで全米に生中継されたが、偽の招待券で人があふれ、アスファルトが熱で溶け、水飲み場も足りず、のちに「暗黒の日曜日」と呼ばれた。それでも客足は伸び続け、物語の世界を丸ごと体験させる「テーマパーク」という形が生まれた。1983年には、アメリカの外で初めて、千葉県浦安市に東京ディズニーランドが開園した。
場所
33.81°N -117.92°E · アメリカ・カリフォルニア州
本文
1920年代、ミッキーマウスを生み出したウォルト・ディズニーは、1937年の『白雪姫』で、長編のアニメーション映画という新しい娯楽を作り上げた。彼は娘たちを連れて遊園地に行くたびに、不満を感じていた。汚れた乗り物、柄の悪い呼び込み、ベンチに座って娘を待つしかない父親。親と子が一緒に楽しめる、清潔で夢のある場所を作れないか。
ウォルトは、映画のセットを作るように、一つの世界をまるごと作り込む遊園地を構想した。銀行は渋り、兄のロイも疑ったが、ウォルトは生命保険を担保に金を借り、テレビ局ABCと組んで資金を得た。そのかわりにディズニーは、毎週の番組を作ってABCで流し、番組の中で建設中の遊園地を紹介した。場所には、ロサンゼルスの南東の郊外、アナハイムのオレンジ畑が選ばれ、1年あまりの突貫工事で造られた。
1955年7月17日の日曜、開園の式典は、テレビで全米に生中継された。招待客だけのはずが、偽の招待券で二万八千人ほどが押し寄せた。暑さで舗装したばかりのアスファルトが溶け、女性のハイヒールが沈んだ。配管工のストライキで水飲み場は足りず、食べ物も売り切れ、乗り物は故障した。のちにディズニーの人々は、この日を「暗黒の日曜日」と呼んだ。
それでも客は来続けた。入口のメインストリートは、ウォルトが育った20世紀のはじめのアメリカの町並みを再現し、その奥に、冒険の国、開拓の国、おとぎの国、未来の国が広がる。外の世界が見えないように土手で囲み、従業員を「キャスト」と呼び、清掃を徹底して、訪れた人が物語の中に入り込めるようにした。こうした「テーマパーク」の考えは、世界の遊園地のあり方を変えた。
1983年4月15日、千葉県浦安市の埋め立て地に、アメリカの外で初めてのディズニーのテーマパーク、東京ディズニーランドが開園した。日本の不動産会社が、アメリカのディズニー社と契約を結んで運営する形だった。東京ディズニーランドは、年に一千万人を超える人が訪れる、日本で最も人気のある行楽地の一つになった。