できごと

磁気テープ録音

Magnetic tape recording
AD1935年
重要度 4
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1935年の版図を描いています(41勢力)。

概要

AEGとBASFが、紙とプラスチックの帯に酸化鉄を塗った磁気テープと、録音機マグネトフォンを発表した。円盤と違い、長時間を切れ目なく録れ、そして切って貼れる。戦中のドイツ放送は、深夜に生演奏に聞こえる番組を流し、連合国の情報部を困惑させた。1945年、アメリカ軍の通信兵ジャック・マリンが装置を持ち帰る。ビング・クロスビーが番組の事前録音に使い、放送が生でなくてよくなった。編集という行為が、音に対して可能になった。

場所

ベルリン
52.52°N 13.40°E · ドイツ

本文

音を磁気で記録するという考えは、19世紀の終わりからあった。1898年、デンマークの技術者ヴァルデマー・ポールセンは、鋼鉄の細い線に磁気で音を刻む「テレグラフォン」を作った。1900年のパリ万国博覧会では、この装置でオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの声が録られ、それが現存する最も古い磁気録音とされている。しかし音は小さく、雑音が多く、線はすぐに絡まった。電話の伝言を残す機械として少し使われただけで、広くは普及しなかった。

20世紀の前半、録音といえば円盤のレコードだった(蓄音機の発明)。カルーソーの録音が示したように、レコードは名演奏を家庭に届けたが、弱点も多かった。毎分78回転の盤では、片面に3分から5分しか録れない。演奏を途中で止めることはできず、間違えれば最初からやり直す一発録りである。録り終えた原盤は、もう手を加えられない。放送局が番組を録音で流そうとしても、円盤の音質は生の放送に遠く及ばなかった。

スイスのレボックス社のPR99 Mk II(1985年ころ発売)。1/4インチ・テープを使うオープンリール方式のテープレコーダー。据置型。
スイスのレボックス社のPR99 Mk II(1985年ころ発売)。1/4インチ・テープを使うオープンリール方式のテープレコーダー。据置型。Wikimedia Commons User Iain from en:Wikipedia, 06:55, 16 June 2006 (UTC) · Public domain

突破口は、ドイツで開かれた。1928年、ドレスデンの技術者フリッツ・プフロイマーが、紙の細い帯に鉄の粉を塗りつけ、そこに音を記録する方法の特許を取った。彼は、紙巻き煙草の吸い口に金色の箔を貼る技術を持っており、同じやり方で磁気を帯びる粉を紙に塗れると考えたのである。電機会社のAEGがこの権利を買い、1932年から、化学工業の大手IGファルベンの一部門であるBASFと共同で開発を進めた。AEGが録音機を、BASFが帯を受け持った。帯は破れやすい紙から、酢酸セルロースのプラスチックへ変わり、塗る粉も鉄の微粒子から酸化鉄へと改良された。

1935年、ベルリンの無線展覧会で、AEGは録音機「マグネトフォンK1」を発表した。帯を巻いた輪をかければ、20分以上を切れ目なく録れる。ただ、音質はまだ良くなかった。雑音が多く、大きな音はひずむ。ナチスの政権掌握から2年、ドイツの帝国放送協会はこの新しい機械に目をつけていた。

ナチスの政権掌握に関わる図版:Hitler as young man
ナチスの政権掌握Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

決定的な改良は、その放送協会の技術者ヴァルター・ヴェーバーによって、1940年ごろにもたらされた。録音するとき、音の信号に、人の耳に聞こえない高い周波数の電流を重ねる。すると、磁化の性質のうち素直でない部分を避けて記録できるようになり、ひずみが劇的に減り、録れる音の幅が広がった。交流バイアスと呼ばれる技術である。

同じ原理は、1938年に日本の東北帝国大学の永井健三らが独自に見つけて特許を取っており、アメリカでも1920年代に偶然これに触れた研究者がいた。しかし、それを実際の放送に使える水準にまとめ上げたのは、ドイツだった。この改良で、マグネトフォンの音は円盤を大きく超えた。

カセットテープ搭載のラジカセ(複数種)
カセットテープ搭載のラジカセ(複数種)Wikimedia Commons Tom Meyer · CC BY 2.0

戦争が始まると、この差は連合国を困惑させた。ドイツの放送では、深夜にオーケストラの演奏が流れる。音はまるで生の演奏のようだが、真夜中に毎晩楽団が集まっているとは考えにくい。録音だとすれば、あの音質は円盤ではありえない。ヒトラーの演説がどこで行われたのか分からないように流されていたとも言われ、連合国の情報部は、ドイツが何を使っているのか見当をつけられなかった。

その正体が明らかになったのは、敗戦の後である。1945年、アメリカ陸軍通信隊の技術者ジャック・マリンは、フランクフルト近郊のバート・ナウハイムにある放送施設で、マグネトフォンを見つけた。彼は2台を分解して戦利品として本国へ送り、テープも50巻持ち帰った。そしてサンフランシスコで組み立て直し、1946年、技術者の集まりで実演してみせた。聞いた人々は、それが録音だとはにわかに信じなかったという。

ソニーG型テープコーダー
ソニーG型テープコーダーWikimedia Commons ブルーノ・プラス · CC BY 4.0

この音に飛びついたのが、当時アメリカで最も人気のあった歌手の一人、ビング・クロスビーだった。彼はラジオの生放送を嫌っていた。決まった曜日の決まった時刻に必ずスタジオにいなければならず、東部と西部の時差のために同じ番組を二度演じることもあった。好きなゴルフにも行けない。クロスビーは、録音した番組を流したいと何度も求めたが、大手の放送網は認めなかった。円盤による録音放送は音が悪く、聴き手をだますものだと考えられていたからである。

1947年、マリンの機械を聴いたクロスビーは、自分の番組をテープで前もって録ることを決めた。さらに、カリフォルニアの小さな電機会社アンペックスに5万ドルを出資して、アメリカ製のテープレコーダーを作らせた。1948年に出たアンペックスの200型は、アメリカの放送局の標準の機械になった。こうして、放送は生でなくてもよくなった。

ヴォルタ研究所(ベルとテインター)による初期の非磁気式実験的録音機
ヴォルタ研究所(ベルとテインター)による初期の非磁気式実験的録音機Wikimedia Commons Chinchester Bell and Charles Sumner Tainter · Public domain

しかし、本当の変化は放送の時刻ではなく、テープが切って貼れることにあった。かみそりの刃で斜めに切り、粘着テープでつなぐ。失敗した部分を取り除き、何度か録り直したうちの良いところだけをつなぎ、順番を入れ替え、間を詰める。録音は、その場で起きたことの記録から、後から作り上げるものに変わった。クロスビーの番組では、笑い声の入った別の回の録音をつないで反応を足すことまで行われた。

テープは、音楽の作り方も変えた。ギタリストのレス・ポールは、1950年前後から、改造したアンペックスの機械で自分の演奏に演奏を重ねていく多重録音を試み、1950年代の後半には、アンペックスに8本の音を別々に録れる機械を作らせた。一人で何本ものギターと歌を重ねられる。1960年代、ビートルズは4本録りの機械を2台つないで複雑な多重録音を行い、テープを逆回しにし、速さを変え、切り貼りした。1967年の『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、スタジオそのものが楽器になった作品とされる。

グッデール式テープ録音機の試作機
グッデール式テープ録音機の試作機Wikimedia Commons Franklin C. Goodale, of Tacoma, Washington 1908 · Public domain

テープは、映像と計算機にも広がった。1956年にはアンペックスがテレビの映像を録るビデオテープレコーダーを実用化し、1963年にはフィリップスが手のひらに収まるカセットテープを出した。1951年の商用計算機ユニバックIは、データの記録に磁気テープを使い、テープはその後長く計算機の主な記憶装置になった。いまでも、大量のデータを長く保管する用途には磁気テープが使われている。一巻に十数テラバイトを収め、置いておくだけなら電気を使わない。

ポールセンが鋼鉄の線に皇帝の声を刻んでから百年あまり、磁気で記録するという考えは、録音を「切って、つないで、作る」ものに変え、さらに情報そのものを保存する技術になった。私たちが聞く音楽のほとんどは、いまでは計算機の中で編集されている。その編集という行為が音に対して初めて可能になったのは、ベルリンで生まれ、アメリカへ持ち帰られた一本の茶色い帯からだった。

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