軍用犬チップス
概要
第二次世界大戦の米陸軍の歩哨犬。1943年のシチリア上陸で機関銃の陣地に飛び込み、イタリア兵を降伏させた。最も多く勲章を受けた戦争の犬といわれる。
場所
37.11°N 13.95°E · イタリア・シチリア州アグリジェント県
関わった人(2)
フランクリン・ローズヴェルトAD1882年1月30日–AD1945年4月12日 · チップスが警備した会談の主の一人チャーチルAD1874年11月30日–AD1965年1月24日 · チップスが警備した会談の主の一人本文
チップスは1940年に生まれた。母はコリーとジャーマン・シェパードの間に生まれた犬、父はハスキーという名のマラミュートで、ジャーマン・シェパードとコリー、マラミュートの血が混じった犬だった。育てたのはC・C・ムーアという人物で、のちにニューヨーク州プレザントヴィルのエドワード・レンの家に譲られた。家の娘ゲイルによくなつき、毎日学校までついて行って、机の下で寝そべっていたという。子どもたちが遊んでいると、危ないと思えば女の子たちを引き離しに入った、という話も残る。
アメリカが第二次世界大戦に加わると、陸軍は犬を軍に役立てようと考えた。1942年3月、陸軍は軍用犬の部隊を設け、一般の家庭から犬を募る運動も始まった。多くの飼い主が自分の犬を差し出した。レン家もチップスを送り出した。チップスはヴァージニア州フロントロイヤルの軍用犬の訓練所で、見張りをする歩哨犬としての訓練を受けた。歩哨犬は、夜の見張りで人より先に近づく者に気づき、うなり声や身ぶりで知らせる役目を負う。チップスは第3歩兵師団に配属された4頭の犬の一頭となり、取り扱い係のジョン・ローウェル二等兵とともに戦地へ向かった。

第3歩兵師団は北アフリカ、シチリア、イタリア本土、フランス、ドイツと転戦した。チップスもその全部をついて回った。1943年1月、モロッコのカサブランカでフランクリン・ローズヴェルトとチャーチルが会談したときには、その警備にも就いた。この会談で、連合軍の次の上陸先はシチリアと決まった。
1943年7月10日、連合軍はシチリア島に上陸した(ミンスミート作戦はこの上陸先を隠すための作戦だった)。第3歩兵師団が上陸した島の南岸で、チップスとローウェルは浜辺でイタリア軍の機関銃に釘付けにされた。小屋に偽装したトーチカから撃ってくる銃だった。チップスはローウェルの手を振りほどいて飛び出し、トーチカに飛び込んで銃手たちに襲いかかった。たまらず4人の兵士が外へ出てきて、アメリカ兵に降伏した。大きな音がして、一人がチップスに喉もとをくわえられて出てきた、殺してしまう前に呼び戻した、とローウェルは語っている。チップスは頭に傷を負い、火薬でやけどもしたが、その日のうちに、さらに10人のイタリア兵を捕虜にするのを手伝った。

この働きに対して、チップスには殊勲十字章、シルバースター、名誉戦傷章が贈られることになった。しかし動物に公式の勲章を与えるべきではないという陸軍の方針から、授与は取り消された。抗議の声が上がると、陸軍の副官長ユリオ少将は、今後は犬に勲章を与えないと決めた。部隊の仲間たちは、上陸作戦に加わった印の矢じり付きの従軍記章と、加わった8つの作戦の数だけの星を、非公式にチップスに贈った。のちに連合軍の総司令官アイゼンハワーがなでようとして、チップスにかまれたという話も伝わる。
戦争が終わると、チップスは軍を離れてプレザントヴィルのレン家に戻り、1946年に死んだ。人間の兵士と同じように扱えるかどうかで揺れたその勲章の扱いは、戦争の犬をどう称えるかという問いを残した。それから70年以上たった2018年、イギリスの動物愛護団体PDSAは、戦争で働いた動物に贈るディッキン・メダルをチップスに贈った。翌2019年には、戦争と平和に尽くした動物をたたえる別の勇気の勲章も贈られている。浜辺で命を救われたローウェルたち兵士にとって、チップスは何よりもまず頼りになる戦友だった。第二次世界大戦で最も多く勲章を受けた犬といわれ、第一次世界大戦のスタビー軍曹と並んで、戦場の犬の代表として語られている。