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Event / できごと

ローザンヌ条約

Treaty of Lausanne
AD1923年7月24日
重要度 5

概要

セーヴル条約(1920年、オスマンを分割)をケマルが戦争で破棄させた。トルコ共和国の国境。アナトリアとトラキア。治外法権の廃止。ギリシアとトルコの住民交換、宗教を基準に、120万人と40万人。生まれた土地を出た。クルドとアルメニアの国は、なくなった。3か月後、共和国。

場所

ローザンヌ
46.52°N 6.63°E · スイス

関わった人(1)

ケマル・アタテュルクAD1881年頃–AD1938年11月10日 · 勝ち取った

本文

1920年8月10日、セーヴル条約。オスマン帝国は、アナトリアの西をギリシアに(スミルナ)、東にアルメニア国家、南東にクルド自治、イタリアとフランスの勢力圏、海峡は国際管理、財政は列強の管理。イスタンブールの政府は署名した。アンカラの大国民議会(ケマル)は認めなかった。

希土戦争。1921年8〜9月、サカリヤ。1922年8〜9月、ドゥムルプナル、スミルナ(イズミル)の火災。ギリシア軍が海に落ちた。10月、ムダニヤ休戦。11月1日、スルタン制廃止。メフメト6世はイギリスの軍艦でマルタへ。

1922年11月20日、ローザンヌ。イギリス(カーゾン)、フランス、イタリア、日本、ギリシア(ヴェニゼロス)、ルーマニア、ユーゴスラヴィア、そしてトルコ(イスメト・パシャ、後のイノニュ。聴覚に難があって、聞きたくない話を聞こえないふりをした、と伝える)。イスメトは「セーヴルは死んだ。我々は勝者だ」。カーゾンは「敗者の国のように扱う」。2月、決裂。4月、再開。7月24日、署名。

トルコ共和国の国境。東トラキア、アナトリア全部、イスタンブール。アルメニア国家なし、クルド自治なし。モスルは保留(1926年にイラクへ)。ハタイ(アレクサンドレッタ)はフランスのシリアに(1939年にトルコへ)。治外法権(カピチュレーション、16世紀から)の廃止。オスマンの債務の分担。海峡は非武装、国際委員会(1936年、モントルーでトルコの管理に)。

住民交換。1923年1月30日の協定。トルコのギリシア正教徒(120万人。イスタンブールとイムロズとテネドスを除く)をギリシアへ、ギリシアのムスリム(40万人。西トラキアを除く)をトルコへ。基準は言語でなく宗教。トルコ語しか話さないカッパドキアの正教徒がギリシアへ、ギリシア語しか話さないクレタのムスリムがトルコへ。強制。生まれた土地を出た。ギリシアは人口の4分の1が難民になった。

戦後の条約で、敗戦国が拒否して、戦争で覆して、勝者として結び直した唯一の条約。

10月13日、アンカラが首都。10月29日、トルコ共和国。ケマルが大統領。

ローザンヌは、1918年の敗者が勝ったので、トルコの誇り。クルド、アルメニア、ギリシアの人々にとっては、別の記憶。2023年、100年。

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