概要
鉄道と汽船が速くなると、犯罪者は国境を越えて逃げ、偽札や盗品も国から国へ渡るようになった。1923年9月7日、ウィーンの警察の長官ヨハネス・ショーバーの呼びかけで、20あまりの国の警察の代表がウィーンに集まり、国際刑事警察委員会を作った。各国の警察が、指名手配の情報や指紋、犯罪の記録を交換し合う仕組みである。1938年、ナチ・ドイツがオーストリアを併合すると、委員会はナチの手に落ちた。戦後の1946年に作り直され、のちに電報の宛名から「インターポール」と呼ばれるようになった。政治や宗教、人種に関わる事件には関わらないことを原則にしている。
場所
48.21°N 16.37°E · オーストリア
本文
19世紀の後半、鉄道と汽船の発達で、人は短い時間で国境を越えられるようになった。犯罪者も同じだった。詐欺師や偽札作り、宝石泥棒は、ある国で罪を犯してから隣の国へ逃げ込めば、捕まりにくかった。警察は国ごとの組織で、外国の警察と情報を交わす決まった道は無かった。
1914年、モナコの大公アルベール1世の呼びかけで、モナコで国際刑事警察会議が開かれ、各国の警察と法律家が、逃亡した犯罪者の引き渡しや、身元を確かめる方法の統一を話し合った。だがその年の夏、第一次世界大戦が始まり、話は途切れた。
1923年9月7日、ウィーンの警察の長官ヨハネス・ショーバーが、第2回の会議をウィーンに招いた。20あまりの国の代表が集まり、国際刑事警察委員会を作った。本部はウィーンに置かれ、オーストリアの警察の長官が代々委員長を務めた。委員会は、指名手配の犯罪者の情報、指紋、写真、偽札の見本などを集めて各国に配り、警察どうしが直接に連絡を取り合えるようにした。
1938年、ナチ・ドイツがオーストリアを併合すると、委員会はナチの支配下に入り、のちにベルリンに移されて、ナチの親衛隊の幹部ハイドリヒが委員長に就いた。多くの国は協力をやめた。戦後の1946年、ベルギーの警察の呼びかけで委員会はブリュッセルで作り直され、本部はパリに置かれた。電報の宛名に使っていた「インターポール」が通称になり、1956年、国際刑事警察機構と名を改めた。本部は1989年にフランスのリヨンに移った。
インターポールは、自分で捜査をしたり人を逮捕したりする警察ではない。加盟国の警察の間の連絡と情報の仕組みを支える機関である。逮捕の手配を各国に知らせる「赤手配書」などの手配書を出し、盗まれた旅券や美術品のデータベースを持っている。憲章は、政治、軍事、宗教、人種に関わる事柄に関わることを禁じている。独裁的な政府が、国外に逃れた反対派を捕まえるために手配書を悪用しようとすることがあり、その歯止めが課題になっている。日本は1952年に加盟した。