スタビー軍曹
概要
第一次世界大戦で米陸軍の連隊とともにフランスの塹壕で戦った雑種犬。毒ガスを知らせ、負傷兵を見つけ、帰国後は英雄として迎えられた。
場所
49.44°N 3.71°E · フランス・エーヌ県
関わった人(1)
ウッドロウ・ウィルソンAD1856年12月28日–AD1924年2月3日 · 帰国後のスタビーが会った大統領の一人本文
1917年4月、アメリカは第一次世界大戦に加わった。その夏、コネティカット州ニューヘイヴンのイェール大学の構内では、のちに第26師団(ヤンキー師団)に属してフランスへ渡る第102歩兵連隊が訓練をしていた。7月、そこへ一匹の野良犬が迷い込んできた。ボストン・テリアの血が入っていたらしい、ぶち模様の雑種である。短い尻尾から、スタビーと呼ばれるようになった。
犬を特にかわいがったのは、伍長のジェームズ・ロバート・コンロイだった。部隊がフランスへ向かうとき、コンロイはスタビーを輸送船にこっそり乗せ、上陸のときは外套の下に隠して連れ出した。上官に見つかったが、スタビーが訓練で覚えた敬礼をしてみせたので、そのまま連れて行くことが許されたと伝えられる。スタビーは正式な軍用犬ではなく、部隊が自分たちで飼った仲間だった。

1918年2月5日、スタビーはソワソンの北のシュマン・デ・ダムで初めて戦場に入り、1か月以上、昼も夜も砲火の下で過ごした。4月、セシュプレの戦いでは、退くドイツ兵の投げた手榴弾で前脚を傷つけた。後方で手当てを受ける間も、負傷兵たちを慰めたという。傷が治ると、また塹壕に戻った。
この戦争では、両軍が毒ガスを使った(イーペルの毒ガス)。スタビー自身も一度ガスにやられ、回復すると犬のための防毒マスクを付けて戻った。それ以来、ガスのにおいにいち早く気づいて兵士に知らせるようになったという。人の耳より先に砲弾の飛んでくる音を聞きつけて、伏せる合図にもなった。中間地帯に倒れた負傷兵を探し出すこともした。アルゴンヌではドイツ兵を一人捕まえたとされ、尻にかみついて放さず、味方が来るまで押さえていたという話が伝わる。のちに手榴弾で胸と脚にも傷を負い、二度の負傷を重ねた。
スタビーは18か月にわたって第102連隊とともに戦い、4度の攻勢と17の戦闘に加わったとされる。シャトー・ティエリが奪い返された後、町の女性たちがセーム革の上着を作って贈り、スタビーがもらった記章はそこに付けられた。軍曹と呼ばれたのはこの頃からで、連隊の長が推したものと伝えられるが、陸軍が犬に正式な階級を与える制度は無く、部隊の中での呼び名だった。
戦争が終わり、スタビーはコンロイとともにアメリカへ帰った。英雄として各地のパレードに招かれ、先頭を歩くことが多かった。ウッドロウ・ウィルソン、ハーディング、クーリッジの3人の大統領に会ったとされる。1921年には、アメリカ軍を率いたパーシング大将から、動物愛護の団体の金メダルを手渡された。コンロイがワシントンのジョージタウン大学で法律を学ぶと、スタビーはそのフットボール部のマスコットになり、試合の合間にボールを鼻で押し回して観客を沸かせた。寄席の舞台にも出て、在郷軍人会とYMCAからは終身会員の資格を贈られた。コンロイは学びながら、のちの連邦捜査局(FBI)の前身にあたる捜査局の特別捜査官としても働いた。
スタビーは1926年3月16日に眠ったまま死んだ。ニューヨーク・タイムズには半ページの追悼記事が載った。当時の多くの著名人の訃報より長かった。体は剥製にされ、1956年にコンロイからスミソニアン協会に贈られた。いまもワシントンの国立アメリカ歴史博物館で、戦争をテーマにした展示の中に置かれている。2006年の休戦記念日には、カンザスシティの第一次世界大戦の記念碑の参道に名を刻んだれんがが置かれ、2018年にはコンロイの子孫がコネティカット州ミドルタウンに等身大の銅像を建てた。同じ年には、その生涯をもとにしたアニメーション映画も公開された。犬が戦場で果たした役割を伝えるものとして、第二次世界大戦の軍用犬チップスとともによく名前を挙げられる。