三百年の気温
概要
二十世紀半ば、気象学者ゴードン・マンリーは、イングランド中部に残された観測の記録を集め始めた。個人の日記、館の記録、学校の帳面。置き場所も器械もばらばらで、暖房のない部屋の中で測ったものまである。彼はそれらを一つずつ突き合わせて補正し、1659年まで遡る月ごとの気温の列を作った。世界でもっとも長い気温の記録である。一年だけを見ても何も分からないが、三百年並べると、寒い時期があり、そして近年の上がり方が、それまでとは違うことが見える。測り続けることが、それ自体で発見になる。
場所
52.40°N -1.50°E · イギリス・イングランド
本文
一日の気温を測るのは、難しくない。温度計を吊るして、目盛りを読めばよい。難しいのは、それを百年、二百年と続けることである。測る人はいずれ死ぬ。器械は壊れ、取り替えられる。置き場所が変われば、日の当たる壁の前と北向きの木陰とで数度も違ってしまう。町が育って建物が増え、火を焚く家が増えれば、同じ場所でも気温は上がる。長い記録が少ないのは、そのためである。
イギリスでは、17世紀の半ばから温度計が使われ始めた。1660年にロンドンで王立協会が作られると(王立協会の設立)、ロバート・フックらは天気を決まった形で観測し、記録することを呼びかけた。地方の紳士や聖職者、医師の中には、毎朝、天気と寒暖計の数字を日記に書き留める人々が現れた。館の帳面や学校の記録、協会に送られた観測の報告として、そうした書きつけはイングランドの各地に散らばって残った。

ただし、そのままでは比べられない。目盛りはばらばらで、ファーレンハイトの目盛り(華氏)や温度の目盛が定まる前のものもある。温度計をどこに置いたか書いていない記録も多い。暖房の無い部屋の中に吊るして測ったものも混ざっている。一冊の日記は、一人の人生が終われば途切れてしまう。
この散らばった記録を一本の列にまとめようとしたのが、イギリスの気候学者ゴードン・マンリー(1902〜1980年)である。彼は、同じ時期に二つの場所で測られている記録を探し、その差を求めて、差のぶんだけずらしてつないでいった。部屋の中で測ったものは外の気温に直し、直しきれないものは使わなかった。温度計が無い、あるいは信用できない最も古い時期については、日記に書かれた天気の様子や、凍った、雪が積もったといった記述から、おおよその値を推し量った。
マンリーは1953年に最初のまとめを発表し、1974年にそれを改めて、1659年までさかのぼる月ごとの平均気温の列を完成させた。扱ったのはイングランド中部、おおよそランカシャー、ロンドン、ブリストルを結んだ三角形の範囲で、一つの地点ではなく、この範囲を代表する気温として組み立てた。「イングランド中部気温」と呼ばれるこの記録は、計器による気温の記録として世界でもっとも長い。のちに日ごとの値も1772年までさかのぼって整えられ、いまはイギリス気象庁が毎月書き足している。
一年だけを見ても、何も分からない。寒い年も暑い年も、昔からある。だが三百年あまりを並べると、いくつかのことが見えてくる。17世紀の終わりから18世紀の初めにかけては、寒い時期だった。1683年から翌年にかけての冬は特に厳しく、ロンドンのテムズ川が厚く凍って、氷の上に屋台が並ぶ「氷上の市」が立った。記録の中で最も寒い年は1740年である。この時代は、ヨーロッパの「小氷期」の寒い局面にあたるとされる。
19世紀を通じて、気温はゆっくりと上がっていく。そして20世紀の終わりから、上がり方が変わる。それまでの三百年の揺れの幅を超える暖かい年が、続けて現れるようになった。記録の中で最も暖かい年の上位は、ほとんどが21世紀に入ってからの年である。
気候が変わったと言うためには、「いつと比べて」が要る。人工衛星の観測は1970年代から、世界中の観測所の網が整うのは19世紀の後半からである。それより前の気温を知るには、木の年輪や氷床に閉じ込められた空気の泡から推し量るしかない。イングランド中部の記録は、温度計が読んだ数字として、産業革命の前までさかのぼって比べる相手を与えてくれる。19世紀の終わりに二酸化炭素と気温の関係を計算した学者たち(二酸化炭素と気温の計算)や、20世紀に大気中の二酸化炭素を測り続けた記録(キーリング曲線)と並べて読まれるのは、そのためである。
もちろん、限界もある。これはイングランドという小さな島の一地域の記録であって、地球全体の気温ではない。北大西洋の海の影響を強く受け、一年ごとの揺れも大きい。古い時期の値は推定を含み、幅を持たせて読む必要がある。それでも、ほかの方法で推し量った気温の変化と大筋で合うことが、この記録の値打ちを支えている。
この列は、誰かが気候の変化を調べようとして作ったものではない。元になったのは、毎朝寒暖計を読んで書きつけた人々の日記である。何のために書いたのかは、たいてい書かれていない。ただ、書いた。それが三百年たってから、書いた人々が思いもしなかった問いに答えるために使われた。測り続けることは、そのときには何も生まない。それでも、後から比べる相手になる。同じことを、極地の氷は自分でやっていた(氷から、昔の気温を読む)。誰も読まないうちに、何十万年ぶんの気温が積み上がっていたのである。