概要
アムステルダムの市民自警団の集団肖像画。当時の慣例では、全員を横一列に、同じ大きさで並べて描く(一人あたりの料金で)。レンブラントは、隊が動き出す一瞬を描いた。前に出る者、影に沈む者、旗、犬、少女。注文主の一部は不満だった、と長く言われたが、記録はない。夜でもない(19世紀にニスが黒ずんでいた)。同じ年、妻サスキアが死んだ。彼は以後、注文を失っていった。
場所
52.37°N 4.90°E · オランダ
関わった人(1)
レンブラント・ファン・レインAD1606年7月15日–AD1669年10月4日 · 描いた本文
正式の題は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンビュルフ副官の市民隊』。
アムステルダムの市民自警団(スホッテライ)。もとは市を守る民兵組織で、17世紀には社交と儀礼の団体になっていた。組合の建物(クローフェニールスドゥーレン、火縄銃手組合の会館)に、歴代の隊の集団肖像画を掛ける習慣があった。
集団肖像画の慣例。全員が同じ大きさで、横一列か二列に並び、顔がはっきり見える。費用は、一人あたりいくら、で分担する(だから、全員が等しく見えなければならない)。
1642年、レンブラント、36歳。18人が金を出した(一人あたり100ギルダー前後。総額1600ギルダー。当時の職人の年収の何倍か)。
彼が描いたもの。
隊が、暗いアーチの下から、通りへ動き出す一瞬。中央に、黒い服に赤い帯の隊長バニング・コックが、手を前に出して命令している。その手の影が、隣の副官(明るい黄色の服)の上着に落ちている。後ろで、旗手が旗を掲げ、銃を装填する者、槍を立てる者、太鼓を叩く者、犬が吠える。
そして、左寄りの奥に、光を浴びた少女がいる。腰に、白い鶏をぶら下げている(鶏の爪=クラウ。火縄銃手組合の紋章が鳥の爪)。組合のマスコットの寓意、と考えられている。
人数。金を出した18人のほかに、十数人の人物が描き込まれている。だから、金を出した人の中には、顔が半分隠れた者、後ろを向いた者がいる。
「注文主が怒って、彼の名声が落ちた」という話は、19世紀の伝説。同時代の記録には、不満の証拠がない。むしろ、当時の評価は高かった(1678年のサミュエル・ファン・ホーホストラーテンは「他の全ての集団肖像を、トランプの絵札のように見せる」と書いた)。
「夜警」の題は、18世紀末から。ニスが黒ずんで、夜の場面に見えたから。1940年代の修復で、日中の場面だと分かった(隊長の手の影の角度から、午後2時頃だと推定した人がいる)。
大きさ。もとは、いまより大きかった。1715年、市庁舎へ移すときに、壁に合わせて四方が切られた(左から60センチ以上。人物2人と、アーチの一部が失われた)。切る前の姿は、17世紀の模写で分かる。
同じ1642年。妻サスキア(裕福な市長の娘。1634年に結婚)が、4人目の子ティトゥスを産んだ後、結核で死んだ。30歳。レンブラントの生活が、そこから崩れていった。
その後。乳母のヘールトヘ・ディルクスとの関係が訴訟になった(彼は彼女を精神病院に入れた)。次にヘンドリッキェ・ストッフェルスと暮らし、教会が彼女を「姦淫」で叱責した(サスキアの遺言のため、正式に結婚できなかった)。1656年、破産。家(いまのレンブラントの家博物館)と、集めた美術品と、貝殻と、武器と、日本の甲冑まで、競売にかけられた。
それでも描いた。『ユダヤの花嫁』『放蕩息子の帰還』(エルミタージュ)、『織物商組合の見本監査官たち』、そして自画像。若い成功者の顔から、破産後の、皺と赤い鼻と、それでも笑っている顔まで、80点以上。
1663年、ヘンドリッキェが死んだ。1668年、息子ティトゥスが死んだ。1669年10月4日、レンブラントが死んだ。63歳。西教会の、借りた墓(20年後に骨は片づけられた)。
『夜警』への攻撃。1911年、失業した靴職人がナイフで切りつけた(厚い絵具で刃が止まった)。1975年、教師が15か所を切り裂いた(修復に4年)。1990年、精神を病んだ男が硫酸をかけた(警備員がすぐ水をかけて、絵具の層で止まった)。
2019年から、アムステルダム国立美術館は、ガラスの部屋の中で、公開のまま修復を続けている。誰でも、その作業を見ることができる。