できごと

氷から、昔の気温を読む

Camp Century ice core
AD1969年
重要度 4
カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国グリーンランドアイスランドAD1969年キャンプ・センチュリー(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1969年の版図を描いています(5勢力)。

概要

グリーンランドの氷の下に、アメリカ軍が基地を掘った。その一角で、氷床を岩盤まで貫く掘削が行われ、1966年に千三百八十七メートルの氷の柱が抜き出された。デンマークのウィリー・ダンスガードは、雪に含まれる酸素の重い原子と軽い原子の割合が、降ったときの気温で変わることに着目していた。氷は毎年降り積もる。深いほど古い。柱を上から下まで測れば、十万年分の気温が並ぶ。1969年に出た記録は、氷期のなかで気候が何度も急に変わっていたことを示した。過去の温度計が、氷の中にあった。

場所

キャンプ・センチュリー位置は特定されていない(誤差 ±km)
77.17°N -61.13°E · グリーンランド

本文

1959年、アメリカ軍はグリーンランド北西部の氷床に、基地を掘り始めた。氷を溝のように削り、その上に鉄のアーチの屋根を架けて雪で埋め戻す。すると、氷の下にトンネルの町ができる。宿舎があり、食堂があり、病院があり、電気を賄う小さな原子炉まであった。名前は「キャンプ・センチュリー」。表向きは、極地で建物を造る技術の研究のためとされた。実際には、氷の下に核ミサイルを並べる「アイスワーム計画」が検討されていた。だが氷は生き物のように動き、トンネルは数年で歪み始めた。計画は立ち消えになり、基地も1960年代半ばに放棄された。

その基地の一角で、別の掘削が続けられていた。氷床をまっすぐ下へ、筒の形に抜き取っていくのである。1966年、ドリルはついに氷の底の岩盤に届いた。抜き出された氷の柱の長さは1387メートル。氷床をその底まで貫いた、最初の掘削だった。

ドリル掘削機で得られた氷床コア
ドリル掘削機で得られた氷床コアWikimedia Commons Photo by Lonnie Thompson, Byrd Polar Research Center, Ohio State University. · Public domain

氷床は、毎年降った雪が積み重なって押し固められたものである。上ほど新しく、下ほど古い。下へ行くほど上の重みで押しつぶされ、一年分の層は薄くなる。この長い柱に、いったい何が記録されているのか。当時はまだ、よく分かっていなかった。

その読み方を用意していたのが、デンマークの物理学者ウィリー・ダンスガード(1922〜2011年)である。1950年代の初め、彼は雨水を集めていた。庭に置いたビール瓶に漏斗を差して、降った雨をためたという話が伝わっている。彼が測っていたのは、水に含まれる酸素の重さだった。水の酸素には、軽いもの(酸素16)と、わずかに重いもの(酸素18)が混じっている。海から水が蒸発するとき、軽い酸素を含む水のほうが先に気体になりやすい。雲が冷えて雨や雪を降らせるとき、重い酸素を含む水のほうが先に落ちる。だから、気温が低いほど、極地にまで届く水蒸気からは重い酸素が抜けていく。ダンスガードは世界各地の雨を調べ、降ったときの気温と、雨や雪に含まれる重い酸素の割合の間に、はっきりした関係があることを示した。

アラスカのタク氷河で表面を採取する様子。表面の雪と青い氷の間に、しだいに密になるフィルンの層がある
アラスカのタク氷河で表面を採取する様子。表面の雪と青い氷の間に、しだいに密になるフィルンの層があるWikimedia Commons Public domain

つまり、降った雪に重い酸素がどれだけ含まれているかを測れば、その雪が降ったときの気温が分かる。氷は毎年降り積もった雪である。柱を上から下まで測れば、過去の気温が年代順に並ぶはずだった。

1960年代の終わり、ダンスガードの研究室は、キャンプ・センチュリーの氷の柱を細かく切り分け、何千もの試料を測った。当時、それだけの数を短い期間で精密に測れる設備は、世界でもほとんど無かったといわれる。1969年、最初の記録が発表された。記録は10万年を超え、最後の氷期をまるごと含んでいた。

1932年に特許を取得した氷床掘削用オーガー。現代の浅層掘削用オーガーとよく似た形
1932年に特許を取得した氷床掘削用オーガー。現代の浅層掘削用オーガーとよく似た形Wikimedia Commons Original image by F.W. Brooks, Sr. · Public domain

研究者たちを驚かせたのは、その中身だった。氷期はずっと寒いままの時代ではなかった。寒い状態と、急に暖かくなる状態とを、何度も行き来していた。のちに、スイスの研究者ハンス・オシュガーの名とあわせて「ダンスガード=オシュガー・イベント」と呼ばれる変動である。しかもその変化は、数十年、場合によってはもっと短い間に起きていた。気候はゆっくり動くものだと思われていたが、実際には跳ぶことがある。この発見は、気候に対する考え方を大きく変えた。

氷が持っていたのは、気温の記録だけではなかった。降り積もった雪のすき間には、当時の空気が泡になって閉じ込められている。その空気を取り出せば、昔の大気の二酸化炭素の量を測ることができる。噴火した火山の灰や硫酸も、その年の層に残っている。1950年代から60年代の層には、大気中の核実験で撒かれた放射性の物質が含まれていて、年代を合わせる目印になる。

切削用の歯が付いた機械式ドリルの先端
切削用の歯が付いた機械式ドリルの先端Wikimedia Commons Steven Profaizer, National Science Foundation · Public domain

その後、グリーンランドと南極で、より深く、より古い氷を求める掘削が続いた。南極の氷床では、80万年前を超える氷まで届いている。そこからは、氷期と間氷期の繰り返しの中で、二酸化炭素の濃度と気温がそろって上がり下がりしてきたことが読み取られた。ハワイで大気の二酸化炭素を測り続けたキーリング曲線が示すいまの濃度は、その80万年のどの時期よりも高い。

三百年の気温は、人が温度計で測って書き留めた300年あまりの記録である。氷の記録は10万年、80万年に及ぶ。誰も測っていない。雪が降って、積もっただけである。過去の気温を知る方法は、その後も次々に見つかった。木の年輪、珊瑚、湖の底の泥、鍾乳石。測るとは、目盛りを読むことだけではない。自然が黙って残していた記録の、読み方のほうをこちらが見つけることでもある。

氷の中に閉じ込められた気泡
氷の中に閉じ込められた気泡Wikimedia Commons Atmospheric Research, CSIRO · CC BY 3.0

キャンプ・センチュリーの跡は、いまも氷の下に眠っている。放棄されたとき、燃料や汚水、原子炉の廃棄物の一部も一緒に残された。温暖化で氷が溶け続ければ、今世紀のうちにそれが表に出てくるおそれがあると指摘されている。過去の気温を教えてくれた氷は、未来の気温の行方も、自分の体で示すことになるのかもしれない。

同じ時代のできごと

『一九八四年』AD1949年6月8日ボーヴォワール『第二の性』AD1949年レヴィ=ストロース『親族の基本構造』AD1949年中華人民共和国の成立AD1949年10月1日『地中海』の刊行AD1949年NATOの結成AD1949年4月4日コメコンの創設AD1949年三島由紀夫『仮面の告白』AD1949年7月
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD1969年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →