『カラマーゾフの兄弟』

概要
銃殺刑の直前に減刑され、シベリアで4年過ごした人が最後に書いた長編。
場所
55.76°N 37.62°E · ロシア
関わった人(1)
フョードル・ドストエフスキーAD1821年11月11日–AD1881年2月9日 · 作者本文
1849年12月、ペテルブルクのセミョーノフ広場。社会主義の読書会に加わった罪で捕らえられた青年たちが、目隠しをされ、柱に縛られ、銃殺隊の前に立たされた。その瞬間、皇帝の特赦が読み上げられた。死刑は初めから芝居で、刑はシベリアでの懲役に変えられた。その中に28歳の作家フョードル・ドストエフスキーがいた。オムスクの監獄で4年、さらに兵卒として数年を過ごしたのち、彼はペテルブルクに戻り、『罪と罰』(ドストエフスキー『罪と罰』)をはじめとする長編を次々に書いた。
1878年5月、ドストエフスキーは3歳の息子アレクセイを、自分から受け継いだとみられる癲癇の発作で失った。打ちのめされた作家は、その夏、若い哲学者ソロヴィヨフとともに、ロシア正教の修道院オプチナを訪ね、長老アンヴローシーと語り合った。そこで温めていた構想が、最後の長編になる。作品の中心に置かれた末の弟の名は、死んだ息子と同じアレクセイ、愛称アリョーシャである。

『カラマーゾフの兄弟』は、1879年1月から1880年11月まで、雑誌『ロシア報知』に連載された。舞台はロシアの田舎町。好色で吝嗇な地主フョードル・カラマーゾフと、母の違う3人の息子が物語の中心になる。長男ドミートリーは情熱のままに生きる退役将校で、父と同じ女性グルーシェンカを奪い合い、遺産をめぐって父を憎んでいる。次男イワンは冷徹な知識人で、神の存在を認めても、神の作った世界は認めないと言う。三男アリョーシャは、町の修道院の長老ゾシマに師事する、心の澄んだ若者である。そして屋敷には、フョードルの私生児と噂される下男スメルジャコフがいる。
ある夜、フョードルが殺される。状況は長男ドミートリーを指し示し、彼は捕らえられて裁判にかけられる。だが、実際に手を下したのはスメルジャコフだった。しかも彼は、すべてが許されているというイワンの思想に背中を押されて殺したのだと、イワンに打ち明けたうえで首を吊る。手を下さなかった者にも、父の死を願った罪はあるのか。物語は殺人の推理の形を取りながら、兄弟一人ひとりの心の中の罪と責任を問うていく。ドストエフスキーの父も、彼が17歳のときに領地で死んでおり、農奴に殺されたと伝えられてきた。この点については病死だったとする説もある。

作中で最もよく知られているのは、イワンがアリョーシャに語る「大審問官」の物語である。16世紀のスペイン、セビーリャ。異端者が火あぶりにされる町に、キリストが静かに再び現れる。老いた大審問官は彼を捕らえ、牢でひとり語りかける。人間は自由に耐えられない、パンと奇跡と権威を与えられることを望んでいる、教会はあなたの名においてそれを与え、人々から自由という重荷を取り上げて幸福にしてやったのだ、なぜ今さら邪魔をしに来たのか、と。キリストは最後まで何も答えず、老人の唇にそっと口づけする。大審問官は戸を開け、二度と来るなと言って彼を放す。
この挿話の前にイワンは、罪のない子どもたちが大人の手で苦しめられる実例を次々に挙げ、その苦しみの上に築かれる調和なら、入場券は神に謹んでお返しする、と語る。信仰を擁護するために書かれた小説の中に、作者は信仰に対するもっとも強い反論を置いた。それに対する答えは、論理ではなく、長老ゾシマの生涯の物語と、アリョーシャのふるまいとして示される。すべての人はすべての人に対して罪がある、という長老の言葉である。
小説の扉には、ヨハネによる福音書の、一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままだが、死ねば多くの実を結ぶ、という一節が掲げられている。物語の最後、アリョーシャは、亡くなった少年イリューシャの葬儀のあと、少年たちに向かって、この日のことを決して忘れないでほしいと語りかける。少年たちは「カラマーゾフ万歳」と叫ぶ。
ドストエフスキーは序文で、これは主人公アリョーシャの伝記の第一部にすぎず、本当の物語は13年後を描く第二部だと書いた。だが連載を終えてわずか2か月あまり後の1881年1月末(ロシアの旧暦)、ドストエフスキーは59歳で死んだ。第二部は書かれなかった。彼の死の翌月、皇帝アレクサンドル2世が革命家の爆弾で暗殺される。若者が理念のために殺人に走る時代の予感は、そのまま小説の中に流れ込んでいた。
『カラマーゾフの兄弟』は、その後の思想と文学に計り知れない影響を与えた。ジークムント・フロイトはこの小説を史上最も偉大な小説の一つと呼び、作者の父殺しの主題について論文を書いた。アインシュタインは、どんな科学者よりもドストエフスキーから多くを得たと語ったと伝えられる。神なき後の人間はどう生きるのかというイワンの問いは、ほどなくニーチェが「神は死んだ」と書いた時代(神は死んだ)の問いとも重なる。日本でも明治以来繰り返し訳され、21世紀に入って出た新しい翻訳がベストセラーになった。完結しなかった物語は、いまも読者に問いを投げかけ続けている。