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Event / できごと

横浜開港

Opening of Yokohama
AD1859年7月1日(安政6年6月2日)
重要度 4

概要

条約の「神奈川」を、幕府は東海道から外れた寒村の横浜に読み替えた。100戸の村に外国商館と遊郭が建ち、生糸と茶が出て、金が流れ出た。攘夷の浪士が外国人を斬り始めるのも、ここから。

場所

横浜
35.44°N 139.64°E · 日本・神奈川県

本文

日米修好通商条約は「神奈川」を開港場と定めた。 神奈川は東海道の宿場で、 外国人が街道を歩けば、 参勤交代の行列と、 攘夷の浪士と、 毎日すれ違う。 幕府は、 対岸の横浜村を「神奈川の一部」と言って、 そこに港を作った。 ハリスは怒った。 「条約違反」。 商人は気にしなかった。 港が良く、 関内は運河で囲まれて、 出島のように守れた。

安政6年6月2日。 横浜、長崎、箱館。 運上所。 日本人の町と外国人の居留地。 1年で商館が建ち、 港崎の遊郭。 生糸。 1859年から3年で輸出の6割。 茶。 金。 日本の金銀の比価は1対5、 世界は1対15。 銀を持ち込んで金に換えて出せば、 3倍。 数十万両の小判が出た。 幕府は小判を小さくして、 物価が上がった。 「攘夷」は、 そこに火がついた。

1859年7月、 ロシアの士官2人が斬られた。 1860年、 ヒュースケンが斬られた。 1862年、 生麦。 横浜から10キロの街道で。 外国の軍艦が港に並び、 横浜は「攘夷」の標的で、 「開国」の窓だった。 1872年、 新橋と横浜に鉄道。 1923年、 関東大震災で全部壊れて、 1945年、 また。 「開港記念日」は6月2日。 いまも横浜市の学校は休み。

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