概要
ズルフィカール・アリー・ブットは、バングラデシュの独立で国が割れたあとのパキスタンを率い、「イスラームの核爆弾」を作ると宣言した首相だった。1977年、選挙の不正をめぐる混乱の中で、陸軍参謀長のジア・ウル・ハクがクーデターを起こして権力を握る。ブットは政敵の殺害を命じた罪に問われ、1979年4月4日、ラーワルピンディーの刑務所で絞首刑にされた。各国の首脳が助命を求めていた。ジアは法律をイスラームの教えに寄せて統治する。ブットの娘ベーナズィールはのちにイスラーム世界で初めての女性の首相になったが、2007年、同じ町で暗殺された。
場所
33.57°N 73.02°E · パキスタン・パンジャーブ州
本文
ズルフィカール・アリー・ブットは、シンド州の大地主の家に生まれ、アメリカとイギリスで学んだ。軍事政権の外務大臣として頭角を現し、1967年にパキスタン人民党を作る。「パンと服と家を」という標語で、貧しい人々の支持を集めた。
1971年、バングラデシュの独立で国が割れると、ブットは残った西の側の大統領、のちに首相になった。大きな産業と銀行を国のものにし、1973年に新しい憲法を作った。インドとの戦争に負けた国を立て直すため、核兵器の開発を始める。パキスタンは草を食べてでも核を持つ、という彼の言葉は広く知られている。1974年にインドが初めて核爆発を行うと(インドとパキスタンの核実験)、開発はさらに急がれた。
1977年の選挙で、ブットの党は大勝したが、野党は不正を訴えて街頭に出た。混乱の中、7月5日、陸軍参謀長のジア・ウル・ハクがクーデターを起こしてブットを捕らえる。ブットは、政敵の殺害を命じたとして裁判にかけられ、死刑を言い渡された。裁判は公正でなかったと、いまも多くの人が考えている。世界の首脳が助命を求めたが、1979年4月4日の未明、ラーワルピンディーの刑務所で絞首刑が執行された。
ジアは11年間、国を治め、法律と教育をイスラームの教えに沿うよう改めた。同じ年の暮れに始まったソ連のアフガニスタン侵攻で、パキスタンはアメリカの援助を受け、アフガニスタンのゲリラを支える基地になる。ジアは1988年、飛行機の墜落で死んだ。その年、ブットの娘ベーナズィールが首相になり、イスラームの国で初めての女性の首相になった。彼女は二度首相を務め、2007年12月27日、ラーワルピンディーでの演説の後に暗殺された。