概要
同じ宗教でも、言葉と経済が違えば一つの国にならなかった。西パキスタン軍の弾圧で数十万から300万が死に、1000万人が国外へ逃れた。インドが介入して独立する。
場所
ダッカ
23.81°N 90.41°E · バングラデシュ
23.81°N 90.41°E · バングラデシュ
関わった人(1)
インディラ・ガンディーAD1917年11月19日–AD1984年10月31日 · 支援した側本文
同じ宗教でも、一つの国にならなかった。
パキスタンは、東と西に分かれていた。 あいだにインドが1600キロある。
言葉が違う。 東はベンガル語、西はウルドゥー語。
建国の直後、ウルドゥー語だけを国語とする方針が出た。
抗議運動が起き、学生が射殺された。 2月21日になる。 その日は、いまユネスコの国際母語デーになっている。
経済の格差もあった。 外貨を稼ぐのは東のジュートだったが、 投資は西へ向かう。
1970年の選挙で、東の政党が過半数を取った。 政権が渡されなかった。
軍が弾圧を始める。
死者は数十万から300万まで、推計に幅がある。 数十万の女性が性暴力を受けたとされる。
1000万人がインドへ逃れた。
インドが介入し、13日で決着した。