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Event / できごと

東京大空襲

Bombing of Tokyo
AD1945年3月10日
重要度 5

概要

B29が300機、低空から焼夷弾1665トン。2時間半で下町が燃え、10万人が死んだ。一晩の死者として史上最大。ルメイは「日本の家は紙と木だ」と言った。同じ方法で64の都市が焼かれ、それから原爆。犠牲者の名前はまだ全部分かっていない。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

本文

1944年11月から、B29。マリアナから。高高度、昼、精密爆撃。「軍需工場を」。 効かなかった。ジェット気流。雲。 1945年1月、ルメイ。第21爆撃機集団。 「低空。夜。焼夷弾。市街地」。 「日本の家は紙と木」。 M69。ナパーム。集束弾。 2月25日、試験。東京。 3月9日、夜。マリアナを325機。 3月10日、0時7分。 深川、本所、浅草、城東。 高度1500〜2500メートル。 1665トン。 風速30メートル。 火災旋風。 隅田川。橋。言問橋。 2時間40分。 死者10万。「8万3793」と警視庁。「10万以上」といまは。 負傷4万。焼失27万戸。100万人が家を失った。 41平方キロ。 「一晩の死者として、史上最大」。広島より、長崎より。 B29の損失14機。 ルメイ。「日本人を殺し、焼き、煮た」。「戦争に負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれた」。 3月11日、名古屋。13日、大阪。16日、神戸。 64の都市。 「日本の都市の40%」。 「軍需工場は家の中にあった。家内工業」。 「無差別」。 1964年、日本政府がルメイに勲一等旭日大綬章。「航空自衛隊の育成」。 東京都慰霊堂。関東大震災と一緒に。 「名前が分からない」。都は2009年に名簿を作り始めた。8万人まで。 国の追悼施設はない。 補償はない。「軍人でない」。裁判。2013年、最高裁。「戦争被害は国民が等しく受忍」。 「受忍論」。 3月10日は「陸軍記念日」だった。奉天の日。 早乙女勝元。12歳。「東京空襲を記録する会」。1970年。 「東京大空襲・戦災資料センター」。2002年。民間の寄付で。 江東区。 「もし原爆がなければ、東京大空襲が、戦争の記憶の中心だった」。 「原爆の前に、64の都市が、同じ方法で」。 その方法は、ドレスデンで試されていた。 同じ月。

同じ時代のできごと

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