概要
本土決戦の前に、時間を稼ぐための戦い。3か月。県民の4人に1人、9万4000人が死んだ。集団自決、壕からの追い出し、スパイ容疑の殺害。首里が落ち、軍は南へ退いて住民を巻き込んだ。6月23日、牛島司令官が自決。沖縄はそれから27年アメリカが持った。
場所
26.22°N 127.72°E · 沖縄県那覇市
本文
1945年3月26日、慶良間。 「集団自決」。渡嘉敷、座間味。手榴弾。鍬。 4月1日、上陸。18万。本島の西。抵抗なし。 第32軍。牛島満、長勇、八原博通。10万。「持久」。 北は4月中に。 南。嘉数。前田高地。シュガーローフ。 5月4日、日本軍の総攻撃。失敗。 5月、雨。泥。 5月22日、首里。「南へ退く」。八原が反対した。「首里で決戦を」。長が「南へ」。 住民が南にいた。軍が住民の中に入った。 壕。「軍が使う。出ろ」。「泣く子を殺せ」。「スパイ」。方言を話した者が殺された。 「鉄の暴風」。 糸満。摩文仁。 6月18日、バックナー中将が戦死。アメリカ軍の最高位。 6月23日、牛島、長が自決。「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」。降伏を命じなかった。組織的な戦闘の終わり。 9月7日、降伏文書。 死者。日本兵9万4000(うち沖縄出身2万8000)。住民9万4000。アメリカ1万2500。 20万人。 沖縄の人口の4分の1。 「ひめゆり」。師範学校と一高女の生徒222人と教師18人。看護。136人が死んだ。6月18日の「解散命令」のあと。 「鉄血勤皇隊」。中学生。1780人のうち890人。 「特攻」。沖縄へ1900機。3000人。 「大和」。4月7日。3000人。 「本土決戦の捨て石」。 「時間を稼ぐ」。 稼いだ時間で、原爆が間に合った。 6月23日、慰霊の日。沖縄だけの休日。 平和の礎。24万人の名前。国籍を問わず。 「軍隊は住民を守らない」。沖縄で言われる言葉。 1972年まで、アメリカ。 いまも、基地の7割。 「沖縄戦は、まだ終わっていない」と沖縄の人は言う。