プラタイアの戦い

概要
陸戦でもペルシアを破り、ギリシア本土からペルシア軍が退いた。
場所
38.22°N 23.27°E · ギリシア・ボイオティア
本文
紀元前480年の秋、ペルシア王クセルクセス1世の艦隊はサラミスの海戦でギリシアの連合艦隊に敗れた。クセルクセスは本国へ引き揚げたが、陸の大軍は残した。指揮を任されたのは、王の義兄弟にあたる将軍マルドニオスである。マルドニオスはテッサリアで冬を越し、翌年の戦いに備えた。ヘロドトスは彼の軍を30万と書くが、これは大きな誇張で、実際には10万前後かそれ以下だったと考える研究者が多い。
マルドニオスはまず外交でギリシアを割ろうとした。マケドニア王を使者に立て、アテナイに、ペルシアと手を結べば町を再建し、領土も与えると持ちかけた。アテナイは拒んだ。太陽が今の道を進む限り、クセルクセスとは決して和を結ばない、と答えたとヘロドトスは伝える。紀元前479年の初夏、マルドニオスは再びアテナイを占領した。住民は前の年と同じく、サラミス島へ逃れた。
アテナイは、ペロポネソス半島の付け根の地峡に壁を築いて自分たちだけを守ろうとするスパルタに、出兵を強く求めた。このままならペルシアと和を結ぶしかない、とまで迫った。スパルタはついに、亡き王レオニダスの甥で、幼い王の摂政を務めるパウサニアスを総大将に立て、市民の重装歩兵5000人を送り出した。その一人ひとりに、7人ずつの隷属民が軽装の兵として従ったという。テルモピュライの戦いから1年後のことである。

ギリシアの都市が次々に加わり、重装歩兵は4万近く、軽装の兵を含めると10万を超えたとヘロドトスは記す。ペルシア戦争を通じて、ギリシアの連合軍が集めた最大の兵力だった。マルドニオスはアッティカを焼き払って、ペルシアの味方についたテーバイの領内、アソポス川のほとりに陣を張った。平らな土地で、ペルシア自慢の騎兵が力を発揮できる。
両軍は、プラタイアの町に近い丘の麓で10日余りにらみ合った。ギリシア側は、騎兵のいる平地に降りたくない。ペルシア側も、重装歩兵の固い陣に正面からぶつかりたくない。ペルシアの騎兵は、ギリシア側の補給の隊を襲い、水を汲む泉を埋めて使えなくした。水と食糧に困ったギリシア軍は、夜のうちに後方の陣地へ移ることにした。

この夜の移動が混乱した。中央の部隊は持ち場を離れて別の場所へ行ってしまい、スパルタの部隊では、一人の隊長が退くのは恥だと言い張って動かず、出発が遅れた。夜が明けると、ギリシア軍はばらばらになっていた。退却だと見たマルドニオスは、全軍で追撃に移った。
ペルシアの主力が襲いかかったのは、スパルタとテゲアの部隊だった。ペルシア兵は柳の枝で編んだ盾を並べて壁にし、その後ろから矢を雨のように浴びせた。スパルタ兵は、犠牲の占いの吉兆が出るまで動かず、矢に倒れる者が出ても耐えた。パウサニアスが天を仰いで祈ると吉兆が出たと伝えられ、スパルタ兵は一斉に前へ出た。青銅の鎧と大きな盾、長い槍を持った重装歩兵の密集隊形が、軽装のペルシア兵の盾の壁を押し破った。ペルシア兵は勇敢に戦ったが、鎧を着けていない体では接近戦に耐えられなかった。白馬に乗って精鋭を率いていたマルドニオスが討たれると、ペルシア軍は崩れた。

逃げたペルシア兵は木の柵で囲った陣地に立てこもったが、駆けつけたアテナイ兵が柵を破り、陣地の中で大勢が殺された。別の場所では、アテナイ兵がペルシア側についたテーバイの兵と戦って勝った。ペルシアの将軍アルタバゾスは、戦いが始まると自分の兵4万をまとめて戦場を離れ、北へ去った。ヘロドトスはギリシア側の戦死者を、スパルタ91人、テゲア16人、アテナイ52人と書くが、これは少なすぎるとみられている。
戦いの後、パウサニアスはマルドニオスの天幕に入り、金銀の器や刺繍の布で飾られた豪華さに驚いた。そこで、ペルシアの料理人にマルドニオスのための食事を作らせ、その隣にスパルタの粗末な食事を並べさせて、こんな暮らしをしている者が、わざわざ我らの貧しい食事を奪いに来たのだ、と笑ったという。ヘロドトスが伝える逸話である。

ギリシアの人々は戦利品の一部で、参加した31の都市の名を刻んだ青銅の蛇の柱をデルポイに奉納した。この柱の一部は、のちにコンスタンティノープルへ運ばれ、いまもイスタンブールの広場に立っている。伝えによれば、同じ日に小アジアの沖でも、ギリシアの艦隊がペルシア軍を破った(ミュカレの戦い)。ペルシアの軍は、二度とギリシア本土に攻め込むことはなかった。
勝利の後、ギリシアの結束は長く続かなかった。総大将パウサニアスは、その後の遠征先で傲慢な振る舞いからギリシアの人々の反感を買って本国に呼び戻され、海の戦いの主導権はアテナイに移っていく(デロス同盟の結成)。アテナイとスパルタの対立はやがてペロポネソス戦争に行き着き、その戦争の中で、勝利の地プラタイアもスパルタとテーバイによって滅ぼされた。外の敵がいる間だけ、ギリシアはまとまっていられたのである。