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Event / できごと

ミュカレの戦い

Battle of Mycale
BC479年8月
重要度 3

概要

プラタイアと同じ日、と伝える。ギリシア艦隊がサモスの対岸に上陸し、ペルシアの残った艦隊を陸で破って船を焼いた。イオニアの都市が再び反乱した。ペルシア戦争の終わり。翌年、デロス同盟。攻める側と守る側が入れ替わった。

場所

ミュカレ
37.70°N 27.20°E · トルコ

本文

BC479年。 サラミスの翌年。 ペルシア艦隊。300隻。サモス。 ギリシア艦隊。110隻。デロス。スパルタ王レオテュキデス。 サモスからの使者。「イオニアが立つ。来い」。 「サモスよ」。神託の名。 ペルシアはサモスを出て、ミュカレの岬。陸へ。船を引き上げた。柵。 8月27日、と伝える。プラタイアと同じ日。 「プラタイアの勝利の噂が、朝、伝わった」。ヘロドトス。「同じ日に、二つの海の向こうで」。 ギリシアは上陸した。 アテナイ、コリントス、シキュオン、トロイゼン。海岸。 スパルタ。丘。遅れた。 柵。 サモス人が、ペルシアの陣の中で、裏切った。ミレトス人が、山道を教えると言って、逃げ道を塞いだ。 ペルシアの船を焼いた。 「イオニアは、二度目の反乱」。 「イオニアの都市を、ギリシア本土に移すか」。スパルタの案。「ペルシアの隣に置けない」。 アテナイ。「我々の植民市だ。我々が守る」。 イオニアはアテナイの同盟に。 翌年、デロス。 「ペルシア戦争の終わり」。 「BC479年で終わった、とヘロドトスは書き終えた」。 「あるいは、BC449年のカリアスの和約まで」。 セストス。ヘレスポントスの橋の綱を、アテナイが持ち帰った。 ペルシアはエーゲ海から出て、二度と来なかった。 アテナイが来た。 「守った側が攻める側に」。 BC454年、エジプト。BC449年、キプロス。 デロスの金庫がアテナイに。 パルテノン。 ミュカレ。サモスの対岸。 「パニオニオン」の山。イオニアの祭りの場所。 ペルシアの船が焼かれた浜。 いまはトルコのディレク半島。国立公園。

同じ時代のできごと

イオニアの反乱BC499年孔子の遍歴BC497年護民官の設置BC494年(伝承)マラトンの戦いBC490年サラミスの海戦BC480年9月テルモピュライの戦いBC480年8月プラタイアの戦いBC479年デロス同盟の結成BC478年