バノックバーンの戦い

概要
スコットランド王ロバート・ブルースが、倍のイングランド軍を沼地で破った。前日、王は斧一つで突撃してきた騎士の頭を割った。スコットランドの独立は、これで事実になり、1328年に条約になる。
場所
56.09°N -3.91°E · スコットランド
関わった人(1)
ロバート・ブルースAD1274年7月11日–AD1329年6月7日 · 王本文
1314年6月24日、スコットランドのスターリング城の南、バノック川が流れる湿地で、スコットランド王ロバート・ブルースの軍が、イングランド王エドワード2世の大軍を打ち破った。スコットランドが独立を守った戦いとして、いまもこの国で最も名高い勝利である。
発端は、王家の断絶だった。1286年にスコットランド王が急死し、跡継ぎの幼い孫娘も4年後に亡くなると、十数人が王位を争った。裁定を頼まれたイングランド王エドワード1世は、スコットランドの宗主の座を認めさせたうえで王を選び、やがてその王も退けて、1296年にスコットランドを攻め取った。代々の王が即位に用いた「運命の石」は、ロンドンへ持ち去られた。抵抗の先頭に立った騎士ウィリアム・ウォレスは、1297年にスターリング・ブリッジでイングランド軍を破ったが、のちに捕らえられ、1305年にロンドンで処刑された。

ロバート・ブルースは、王位を争った家の一つの当主だった。1306年2月、彼は南西部のダンフリースの教会で、王位を争うもう一人の有力者ジョン・カミンと会い、口論の末に刺し殺した。祭壇の前での殺人で、ブルースは教皇から破門される。それでも彼は翌月、スクーンで王として即位した。だが6月、イングランド軍に大敗し、妻と娘は捕らえられ、三人の弟は処刑された。ブルースは西の島々に逃れ、身を隠した。洞窟で何度も巣をかけ直す蜘蛛を見て勇気を取り戻したという話は、後世の言い伝えである。
翌1307年、ブルースは戻って小さな戦いに勝ち始めた。その年、エドワード1世はスコットランドへ向かう途中で亡くなった。後を継いだエドワード2世は、父ほどの戦の才も熱意も持たず、国内の貴族との争いに追われた。ブルースは7年をかけて、イングランド側に従うスコットランドの貴族を従わせ、イングランドが押さえる城を一つずつ奪い、奪った城は壊して二度と使えないようにした。

1314年、残る要の一つスターリング城を囲んだブルースの弟は、城の守将と取り決めを結んだ。夏至の日までにイングランドの救援が来なければ、城を明け渡す。この期限に応えるため、エドワード2世は大軍を率いて北上した。イングランド軍は2万に近かったともいわれ、スコットランド軍はその半分にも満たなかったとされる。数については諸説ある。
6月23日、戦いの前日、イングランドの若い騎士ヘンリー・ド・ボーンが、軍の前を小馬で見回っていたブルースに気づき、槍を構えて突進した。ブルースは身をかわして、鐙の上に立ち上がり、斧で騎士の兜ごと頭を打ち割った。斧の柄が折れ、ブルースは家臣たちに無謀を責められると、良い斧を折ってしまったと悔やんだだけだった、と14世紀の詩は伝える。

翌24日、イングランド軍は、川と湿地に挟まれた狭い平地で夜を明かしていた。スコットランド軍は、長い槍を隙間なく並べた密集の方陣を組み、自分から前進した。イングランドの重装の騎兵は、狭い地面で身動きが取れないまま槍の壁にぶつかり、長弓兵も、味方が前にいて十分に射ることができなかった。やがて丘の陰から、スコットランド軍の従者や農民たちが旗を掲げて現れると、イングランド兵はそれを新手の軍と見て崩れ、逃げようとして多くがバノック川で溺れた。エドワード2世は戦場を離れ、東の港ダンバーから船で逃げ帰った。
この勝利で独立は事実上確かなものになったが、イングランドがそれを認めるまでには、なお14年かかった。1320年、スコットランドの貴族たちは教皇に宛てて書簡を送った。アーブロース宣言と呼ばれるこの文書には、われわれが戦うのは栄光や富や名誉のためではなく、自由のためである、誠実な人は命と引き換えでなければそれを手放さない、という一節がある。1328年、エドワード2世が廃位され、少年王エドワード3世が立ったばかりのイングランドは、エディンバラ・ノーサンプトン条約でスコットランドの独立とブルースの王位を認めた。

だが平和は長く続かず、成人したエドワード3世は再びスコットランドに介入し、フランスと結ぶスコットランドとの争いは、やがて百年戦争の一部となっていく。ブルースは翌1329年に亡くなった。死因は重い病とされ、ハンセン病だったとも言われるが確かではない。遺言により、彼の心臓は十字軍に向かう家臣に託されて運ばれ、いまはメルローズ修道院に葬られている。両国の王冠が一人の王のもとに合わさるのは1603年、議会まで一つになるイングランドとスコットランドの合同はさらに後のことである。