概要
ビザンツとルーム・セルジュークの境の、ソユトの小さなトルコ人の首長オスマンが、独立を宣言した、と1299年に置く。夢で、へそから木が生えて世界を覆った、とシャイフ・エデバリが解いた。1326年、息子オルハンがブルサを取った。ガーズィー(信仰の戦士)と、農民と、ビザンツの脱走者。600年、36代。1922年に終わった。
場所
40.02°N 30.18°E · トルコ
関わった人(1)
オスマン1世AD1258年頃–AD1326年頃 · 始めた本文
13世紀の終わり、アナトリアは割れていた。ルーム・セルジューク朝は1243年にモンゴルに負けて、イルハン朝の属国。西の境には、トルコ系の「ベイリク(首長国)」が10以上。ゲルミヤン、カレスィ、アイドゥン、メンテシェ、カラマン。ビザンツはコンスタンティノープルを1261年に取り戻したが、アナトリアを守る力がなかった。
オスマンは、ビテュニアの、ソユト(「柳」)の周りの、小さなベイリクの首長。父エルトゥールルはセルジュークからこの土地を与えられた(と伝える)。オスマンは、境(ウジュ)にいた。ビザンツの町と、トルコ人の遊牧民と、逃げて来た農民と、スーフィーの導師と、「ガーズィー(信仰のための戦士)」。
1299年。オスマンがセルジュークから独立した、と後の史書は置く。実際には、その年に何かがあったかは分からない。最初の確かな記録は1302年、バフェウス(ニコメディアの近く)の戦い。オスマンがビザンツの軍を破って、パキュメレス(ビザンツの歴史家)が名前を書いた。
伝説。オスマンが、シャイフ・エデバリの家に泊まった夜、夢を見た。エデバリの胸から月が出て、自分の胸に入り、へそから木が生えて、枝が世界を覆い、根から四つの川(ティグリス、ユーフラテス、ナイル、ドナウ)が流れた。エデバリは「神があなたとあなたの子孫に王権を与える」と解き、娘をオスマンに嫁がせた。15世紀に書かれた話。
1326年、息子オルハンがブルサを取った。オスマンは、その直前か直後に死んだ。ブルサに葬られた。1331年ニカイア、1337年ニコメディア。1354年、ガリポリ(地震で崩れた城壁から)。ヨーロッパへ。1361年アドリアノープル(エディルネ)。1389年コソヴォ。1396年ニコポリス。1402年、アンカラでティムールに潰され、10年の空位。1453年、コンスタンティノープル。
36代。オスマン、オルハン、ムラト1世、バヤズィト1世……メフメト6世。1922年11月1日、大国民議会がスルタン制を廃止した。623年。「オスマンの家」は一度も途切れなかった。ヨーロッパの王朝で最長。