アンフィポリスの戦い
概要
トラキアの街をめぐって、スパルタのブラシダスとアテナイのクレオンが戦い、両方とも死んだ。戦争を続けたい二人が同じ日に消えて、翌年ニキアスの和約。アリストファネスは『平和』でその年を祝った。和約は6年しか持たなかった。
場所
40.82°N 23.84°E · ギリシア
関わった人(2)
ブラシダス?–BC422年 · 戦死クレオン?–BC422年 · 戦死本文
ペロポネソス戦争が始まって7年目のBC425年、アテナイはピュロスの沖の小島でスパルタの重装歩兵を降伏させた(スファクテリアの戦い)。捕虜を取られたスパルタは、アテナイ本土を荒らすことも思うようにできなくなった。劣勢を覆すために、スパルタの将軍ブラシダスは、アテナイの力の源である北方の同盟市を切り崩そうと考えた。BC424年、ブラシダスは、自由を約束されたヘイロータイ(隷属民)700人と、ペロポネソスの傭兵1000人ほどを率いて、ギリシアを北へ縦断し、トラキアの沿岸に入った。
ブラシダスは、スパルタの将軍としては珍しく、弁が立ち、相手の心をつかむことに長けていた。アカントスの町では、市民の前で、自分はアテナイの支配からギリシア人を解放しに来たのだと演説し、町をアテナイから離反させた。次に狙ったのが、ストリュモン川のほとりのアンフィポリスである。BC437年にアテナイ人のハグノンが建てた植民市で、近くの山の木材は艦隊を造るのに欠かせず、金銀の鉱山にも近い、アテナイにとって何よりも大事な拠点だった。

その冬、雪の降る夜に、ブラシダスはストリュモン川の橋を急襲して渡り、町の外の土地を押さえた。町の中には、アテナイ人だけでなく、さまざまな出身の住民がいた。ブラシダスは、残りたい者は財産をそのままに暮らしてよく、去りたい者は5日のうちに財産を持って去ってよい、という穏やかな条件を示した。住民たちは門を開けた。
アテナイの将軍の一人として近くのタソス島にいたのが、のちに『戦史』を書く歴史家トゥキュディデスだった。知らせを受けた彼は7隻の船で駆けつけたが、着いたのはその日の夕方で、アンフィポリスはすでに降っていた。トゥキュディデスは河口の港エイオンを守り抜いたものの、町を失った責任を問われ、アテナイから20年の追放を受けた。彼はのちに、追放のおかげで両方の陣営、とくにペロポネソスの側の事情にも通じることができた、と書いている。この戦争の最も詳しい記録は、敗れた将軍の手で書かれたのである。

BC423年、アテナイとスパルタは1年の休戦を結んだ。だがブラシダスは、休戦の直後に離反してきた町を受け入れ、戦いは北方でくすぶり続けた。休戦が明けたBC422年、アテナイで和平に反対し、戦争を続けることを主張していた政治家のクレオンが、自ら重装歩兵1200人と騎兵300人などを率いて北へ向かった。クレオンはトロネの町を取り返し、エイオンに入って、アンフィポリスの様子をうかがった。
クレオンは援軍を待つつもりで、町の近くの高みまで偵察に出た。町の中からその動きを見ていたブラシダスは、アテナイ軍の隊列が乱れ、引き返そうと向きを変え始めた瞬間をとらえて、門から兵を突撃させた。不意を突かれたアテナイ軍は崩れ、クレオンは逃げる途中、敵の軽装兵に討たれた。ブラシダスもまた、突撃のさなかに深手を負った。町の中へ運び込まれた彼は、味方が勝ったと聞いてから息を引き取ったという。トゥキュディデスの記すところでは、アテナイ側の死者は600人ほど、スパルタ側はわずか7人だった。

アンフィポリスの人々は、ブラシダスを町の広場の前に手厚く葬り、町の建設者として祭った。もとの建設者ハグノンの記念の建物は取り壊され、ブラシダスのために毎年、競技と犠牲が捧げられるようになった。
トゥキュディデスは、この戦いで、和平に最も強く反対していた両国の二人が同時に消えたと書いている。ブラシダスは戦争で成功と名声を得ていたから、クレオンは平和になれば自分の悪事が露わになり、人を中傷しても信じられにくくなるから、戦争を望んでいた、と。二人がいなくなると、両国で和平を求める人々が力を得た。アテナイではニキアスが、スパルタでは王プレイストアナクスが交渉を進め、BC421年の春、50年の和約が結ばれた。ニキアスの和約である。
同じ春、喜劇作家アリストファネスは喜劇『平和』を上演した。戦争の神がギリシアの町々を臼に入れて搗こうとするが、杵が見つからない。アテナイの杵とスパルタの杵、つまりクレオンとブラシダスが、どちらも失われてしまったからだ、という場面がある。観客は前の年の出来事をすぐに思い浮かべたはずである。
しかし和約は、アンフィポリスの返還さえ果たされないまま、ほころびていった。若いアルキビアデスが反スパルタの同盟を画策し、やがてアテナイはシケリア遠征に乗り出す。50年のはずの和約は、実質6年ほどで崩れ、戦争は再び燃え上がった。アンフィポリスは、その後もアテナイの手に戻ることはなく、半世紀あまり後にマケドニアのフィリッポス2世に奪われた。