概要
1975年11月11日、イギリス女王の代理である総督ジョン・カーは、下院で多数を持つ首相ゴフ・ホイットラムを解任した。上院を握る野党が予算の成立を止めていたためである。選挙で選ばれた首相を、選ばれていない総督が辞めさせたことは、国を二つに割る争いになった。ホイットラムは議事堂の階段で「『神よ女王を救いたまえ』と言うがいい。総督を救うものは何もないのだから」と言い放った。翌月の選挙で彼は大敗する。オーストラリアが共和制に移るかどうかの議論は、この日から熱を帯びた。
場所
-35.28°N 149.13°E · オーストラリア
本文
オーストラリアは独立した国だが、国家元首はイギリスの君主である。その代理として、総督が置かれている。総督の権限は憲法に広く書かれているが、実際には首相の助言に従って動くものとされてきた。
1972年、23年ぶりに労働党が政権を取り、ゴフ・ホイットラムが首相になった。徴兵の廃止、中国との国交、大学の授業料の無料化、国の医療保険、先住民の土地の権利。三年のあいだに次々と改革を進めた。一方で、物価の高騰と、中東の資金を正規でない経路で借りようとした問題で、政府は揺らいだ。
1975年10月、上院で多数を握る野党は、予算の法案の採決を拒み続けた。予算が通らなければ、国の金は11月の終わりに尽きる。ホイットラムは、上院に予算を止める資格は無いとして、解散にも辞任にも応じなかった。11月11日、総督ジョン・カーは、ホイットラムを呼んでその場で首相を解任し、野党の党首マルコム・フレーザーを代わりに任じた。フレーザーはすぐに予算を通し、両院が解散される。
議事堂の階段で解散の布告が読み上げられたあと、ホイットラムは群衆に向かって、女王の名を持ち出して総督を皮肉り、「怒りを持ち続けよ」と訴えた。しかし12月の選挙では、フレーザーの側が大勝した。選ばれていない総督が、下院の信任を持つ首相を辞めさせてよいのか。この問いは、1999年の共和制をめぐる国民投票でも持ち出されたが、そのときは共和制への移行は否決された。