できごと

白蓮教徒の乱

White Lotus Rebellion
AD1796年
重要度 3
ロシア帝国大英帝国清スペイン帝国中央アジアの諸ハン国ムガル帝国アフガニスタンマラーター同盟ラタナコーシン朝(シャム)マラーターの諸国ビルマLahoreベンガル日本大越大越朝鮮王朝ネパールフィリピンGolcondaカンボジアMysoreインドアイヌモシリCarnaticOudhアラカンAD1796年北京
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1796年の版図を描いています(27勢力)。

概要

弥勒の下生を説く宗教結社が、四川と湖北の山地で9年戦った。清の正規軍は役に立たず、地方の郷勇が鎮圧する。清の衰えが見えた最初の乱。

場所

北京
39.90°N 116.41°E · 中国

本文

白蓮教は、宋の時代にさかのぼる民間の信仰である。もとは阿弥陀仏を念じる在家の結社だったが、時代とともに弥勒の信仰や、さまざまな教えを取り込んで姿を変えていった。やがて世が乱れたとき弥勒仏がこの世に下り、苦しむ人びとを救う。のちには、すべての人の母である「無生老母」が、迷える子らを故郷へ連れ戻すとも説かれた。14世紀の半ば、元の末期に起きた紅巾の乱は、この信仰を掲げた人びとが起こしたもので、その中から明を建てた朱元璋が出た。このため元も明も清も、白蓮教を国を乱す邪教として禁じ続けた。

18世紀、清は空前の繁栄の時代にあった(乾隆帝の治世)。戦乱が無く、新大陸から伝わったトウモロコシやサツマイモが山地でも育つようになり、人口は世紀の初めの1億数千万から、終わりには3億前後にまで増えたとされる。だが耕地は人口ほどには増えない。平地からあふれた人びとは、四川、湖北、陝西の三つの省が接する山深い地帯に入り込み、森を焼いて畑を作った。役所の目も届きにくく、暮らしは不安定で、互いに助け合う結社が根を張った。

白蓮教徒の乱の戦闘を描いた図
白蓮教徒の乱の戦闘を描いた図Wikimedia Commons Anonymous (Qing dynasty) · Public domain

1790年代、地方の役人は白蓮教の取り締まりを強めた。教団の指導者を捕らえるという名目で村々を回り、信者でない者まで捕らえては金を巻き上げた。役人の腐敗は、この時代に極まっていた。乾隆帝の寵臣ヘシェン(和珅)のもとで、賄賂が官界の隅々にまで行き渡っていた。

1796年、乾隆帝は在位60年を区切りに、祖父の康熙帝の在位年数を超えないよう帝位を息子の嘉慶帝に譲った。だが実権は手放さず、上皇として政治を握り続けた。その年の初め、湖北で信者たちが蜂起し、反乱は山地の各地に広がった。

反乱軍は、一つの都を構えて戦う軍ではなかった。いくつもの集団に分かれ、山から山へ移りながら、町を襲っては去った。襄陽の集団を率いた王聡児という若い女性の指導者が、とくに知られている。討伐軍は彼らを追い回したが、捕らえきれなかった。

清の正規軍は、ほとんど役に立たなかった。満洲人の八旗も、漢人の緑営も、長い平和の中で戦う力を失っていた。指揮官たちは戦果をいつわって報告し、軍費を着服した。戦いが長引くほど、彼らの懐は潤った。

1799年の初め、乾隆帝が死んだ。嘉慶帝はすぐにヘシェンを捕らえ、自害を命じた。没収された財産は、国の歳入の何年分にもなる途方もない額だったと伝えられる。嘉慶帝は指揮官を入れ替え、戦い方を改めた。

鍵になったのは、二つの方法だった。一つは、村人を土塁や柵で囲んだ砦に集め、食糧も一緒に運び込ませて、反乱軍が村から食べ物も人も得られないようにすること。もう一つは、地方の有力者に地元の若者を集めさせ、「郷勇」と呼ばれる義勇の兵として戦わせることである。土地を知る郷勇は、正規軍よりはるかによく戦った。反乱軍は少しずつ孤立し、1804年までにほぼ鎮められた。

反乱は9年に及び、清は国庫に蓄えていた銀の多くを使い果たした。乾隆帝の時代に積み上がった富は、ここで大きく削られた。

この乱が示したことは、のちの清の歴史を先取りしていた。国の正規軍はもはや頼りにならず、地方の有力者の兵が国を守る。半世紀後、太平天国の乱が起きたとき、清を救ったのは曾国藩の湘軍のような地方の軍だった。軍事の力が中央から地方へ移る流れは、ここから始まったとされる。

太平天国の乱に関わる図版:Regaining the Provincial City Anqing2
太平天国の乱Wikimedia Commons Wu Youru · Public domain

3年前の1793年には、イギリスのマカートニー使節団が乾隆帝のもとを訪れていた(マカートニー使節団)。マカートニーは日記に、清を古びた大きな軍艦にたとえ、有能な艦長がいなくなれば、いずれ漂流して岸に打ち上げられるだろうと書いた。白蓮教徒の乱は、清の「盛世」が終わったことを示す最初の大きな出来事として数えられる。1813年には、白蓮教の流れをくむ天理教の信者たちが北京の紫禁城にまで押し入る事件も起きた。その後に、アヘン戦争が来る。

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