概要
赤軍がヴィスワの対岸まで来た日、国内軍が立った。63日。ソ連軍は川の向こうで止まった。連合国の空輸は届かなかった。市民20万人が死に、ドイツは街を計画的に壊した。85%。赤軍は5か月後に瓦礫に入った。ゲットー蜂起の1年後の、二度目の蜂起。
場所
52.23°N 21.01°E · ポーランド
本文
1939年、ポーランド。地下国家。国内軍。40万人。 1943年4月、ゲットー蜂起。 1944年。赤軍。 7月22日、ルブリン。「ポーランド国民解放委員会」。ソ連の政府。 7月31日、赤軍の戦車がプラガ、ヴィスワの東岸に。 「ソ連より先に、自分たちで解放する」。ブル=コモロフスキ。ロンドンの亡命政府。 8月1日、17時。「W時」。 4万人。武器は2500人分。 最初の4日で、街の大半。 8月5日、ヴォラ。SS、ディルレヴァンガー、カミンスキー。4万人から5万人の市民を、2日で。 赤軍が止まった。「ロコソフスキーは補給が尽きた」。「スターリンが止めた」。 チャーチルとローズヴェルトが「空輸の基地を」。スターリンは「冒険」。拒んだ。 イタリアから飛んだ。ポーランド、イギリス、南アフリカの機。1400キロ。着いたのは一部。 9月18日、アメリカのB17が110機。ドロップの8割がドイツ側に落ちた。 下水道。地区から地区へ。 8月末、旧市街が落ちた。 9月10日、赤軍がプラガを取った。 9月16日、ベルリングのポーランド第1軍がヴィスワを渡った。数千人。支援がなく、戻った。 10月2日、降伏。63日。 国内軍1万5000人が捕虜。「戦闘員として扱う」。 市民の死者は15万から20万。 残りの市民50万人を追い出した。 10月から1月、ドイツが街を壊した。工兵が、通りごとに。「ワルシャワを地図から消す」。 85%。 1月17日、赤軍が入った。瓦礫。 「ソ連は、国内軍が死ぬのを待った」。 「ロンドンの亡命政府の軍が、ワルシャワを取っていたら、スターリンは困った」。 1945年、国内軍の兵は逮捕された。「16人の裁判」。モスクワ。 人民ポーランド。「蜂起は無責任な冒険」。 1989年まで。 1989年、蜂起記念碑。 8月1日17時。ワルシャワが1分止まる。サイレン。 「W時」。 「勝てなかった」。「立たなければ、ポーランドは」。 「20万人」。 1944年8月1日は、ポーランドで、いまも「立った日」。